嘘か真か
- DATE : 2011.05.26
- Cat : Sol
京都に移ってからTVは繋いでない。アンテナ立てるのも、地デジ対応のTVに買い替えることも放棄。そもそも地デジ化ってのにどうも胡散臭さを思い、そこには加担致しませんという思いもあり。
とはいえ、地デジ化することで、双方向のコミュニケーション、web2.0の概念が加速度的に普及するのでは?という期待もあるのはある。オヤジ世代のネットに対する意味の分からない嫌悪感の緩和になればいいなと思いつつ。もちろんネットを全肯定する気は毛頭ない。まだまだ未成熟で、なにより匿名で個人を攻撃するモラルの低さにはうんざりしたりもする、けど、それ以上にうんざりさせられ続けてるTVへの対抗軸としての価値は大きい。
例えばコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=feJb_H7VFA8
麻生元首相を擁護する気はないが、印象操作とはかくあるべき、との見本のような。安藤優子、何者???こんなものに乗せられて政権交代してしまった我々は多いに反省しなければならない。
友人が言った。
TVがマインドコントロールのための装置やと気付いて捨てた、と。
極論ですよ?
でもある意味的を射てる、とも思う。
その警鐘は随分前から各方面でなされてるし、養老孟司氏も指摘してた、もちろん彼は賢いので、間接的な言い回しで書かれてたけど。
マインドコントロール。
そんなものがこの現代の日本で行われてるなんてあり得ない、そう思いたい。
が、しかし。
自分がマインドコントロールに掛かっているのか否か。
きっと掛かっていない、もしくはそんなものは存在しない、と思ってる人は先ず掛かっていると思って間違いないのではないか、と思う。
例えば大麻について。
大麻とはなにか。
一口に麻、と呼ぶが、そんな大雑把なものは存在しない。あるのは、亜麻(リネン)、苧麻(ラミー)、大麻(ヘンプ)等。
荒妙和妙(アラタエニギタエ)という言葉がある。「あらたえの」とは藤に掛かる枕言葉。荒妙とは、大麻、藤、葛などによる繊維、和妙とは絹織物。平安からの日本の文化。木綿は江戸時代から。
安土桃山や、江戸の大麻布を見たことがありますか?現在におけるヘンプのゴワゴワのイメージでそれらに対面すると、驚愕すると思う。葛布、藤布、然り。それらの技術と美意識の高さ。
そして伊勢神宮の神官及び、天皇の祭祀の際に身につける装束は大麻布によるもの。そのための素材は宮内庁によって栃木で栽培されている。大麻取締法では、所持と栽培は禁じられているにも関わらず、である。
また天照大神のお札を買えば、きっちり大麻入りと書いてある。もちろんそれを開封してたところでシンセミアのバッズが入ってました!なんてことはあり得ない。
今この日本で大麻、なんて口に出そうものなら、この中毒が!なお叱りを受けるらしい。しかしちょっと待て、と。
なにも皇国史観を肯定したいわけではない。そこに賛否があって然るべき。とはいえ、神道という哲学、思想への理解と皇国史観を是とするということはイコールではない。神道における大麻の重要性、また資源、素材としての文化と利用価値の高さ、それを麻薬性の一点において全否定することは、それこそ大麻を絶対悪とする思想に中毒になってるのではないのか。
なにも大麻の吸引を肯定したいがために法改正を!なんてことが言いたいわけではない。そんなことはどうぞアムステルダムへ、と思う。ただし、法律がおかしい、ということも多々あることも忘れてはならない。よく大麻という言葉を口にした時点で思考停止か、絶対駄目、日本の法律は、という話になったりするが、それならば、現在の20ミリシーベルトの問題もお国が決めたことであるのなら守らなければならない、となるはずではないのか。駐車違反は存在しないですもんね、日本には、ということでなければおかしいはずではないのか。
そもそも現在の大麻取締法では、所持と栽培が禁じられていて、吸引に対しては禁じられてはいない。それ、どういうことですか。麻薬性うんぬんであるなら、先ず第一に吸引を禁じるべきでしょうが。というより日本古来の種はTHCの含有量は少なく、吸ったところで効かないらしい。
行灯は大麻油によって。着物は自生する植物によって。
それを石油由来のものに置き換えていった経緯に目をやれば、その裏にある思惑が一体何か想像がつく。
例えば建築様式について。
戦後の建築基準法はこの地震大国の、梅雨を迎える日本において果たして沿うのか、という疑問。
先日お越し頂いた町家大工の棟梁が仰ってた。かつては揺れる構造で建てていたと。ガチガチに固めるから壊れるのだと。その話を聞いてゾッとした。
正倉院の校倉造りに象徴されるように、木は伸縮することにより湿度調整をする。それを捨て去り、気密性の高い空間を造ることで、機械による空気循環が必要となる。それでも結露はする、ということは目に見えずとも黴の胞子は空気中に飛び交う。ハウスダスト、アトピーってなんなんでしょうか。
千年の歴史、そこで育まれた建築様式、生活スタイルと、戦後どこから押し付けられたのか、誰が決めたのか、出来上がった建築基準法、どっちがまともなのか、考えずとも答えは明快。
そもそも日本と同じ緯度経度の土地はこの地球上には存在しない。であるなら、どこぞの国の真似をしたところで、この地に合う方がおかしい、と思うのは気のせい???
大体、気密性を高くし、無理矢理機械による空気循環を必要とする=エアコンが必要ということで、電気使用量が上がる。そのことで室外機は熱を放出し、ヒートアイランド現象が起こる。一体なにをやっているんでしょうか。
さて、ここまで読んでカルチャーショックを受けて頂けたのなら望むところ。
なにを当たり前のことを、と仰る方は自身の人生をちゃんと歩んでおられるのであろうと察します。
文科省及び原子力どーちゃらは、年間20ミリシーベルトでもおかしな話なのに、100ミリまで引き上げるとか。
農水省は、風評被害という名の下に国産としか表示しないらしい。飲食店を経営する身として、お客様に安全なものを提供する義務がある。福島はじめ、農作物を生産されてる方の生活を思えば支援させて頂きたいと思う、が、チェルノブイリやイラクの被爆による奇形児を目の当たりにすれば、申し訳ないが遠慮させて頂きたいと思う。
このどさくさにTPPも容認の方向とか。遺伝子組み換え作物も非表示になるって、もうどうすりゃいいのでしょうか。
まるで意味がわかりません。
それでもTVで言ってることが正しいというのであるなら、その正当性を、信じるべき指針を、示して欲しい。逆に嘘はYouTubeをご覧下さい、というほど、溢れ返ってますので、ご自身でどうぞ。
6/11『LIFE FOR LOVE』仙台に佐治晴夫先生がご参加下さることになった。
以下賛同文。
「宇宙の浜辺で自然と向き合う」
-3.11から学ばねばならないことー
自分とは「自」然の「分」身という意味です。地球上で起こるすべてのできごとは、そこで生まれた私たちすべての責任です。自然災害という言葉は、人間サイドからの一方的見方であり、そこには自然と人間との共生という視点が欠落しているのではないでしょうか。豊かな未来を夢みるためには、まず、自然という知と向き合い、新しい価値観へのパラダイムシフトが不可欠だということを、みなさんとご一緒に考えてみたいと思います。
佐治晴夫
自然とはなにか。
お金や時間が現実だと思うのも、地球が自転し太陽の周りを回っているというのを現実だと思うのも、自由。
何度でも言うが、夏は暑さに価値があり、冬は寒さに価値があり、夜は暗さに価値がある。
その夏を涼しく、冬を暖かく、夜を明るくしようとしてきた人間の営みは自然に抗うことになりはしないのか。
その結果が今、なのではないのか。
原発がいるのかいらないのか、その議論も大事。
でもその前に、今の生き方を各人が見直さなければならないのではないのか。
大麻の麻薬性への依存性うんぬん、それがあるのかどうか知らないが、それ以上に利便性への依存性の方が高いのではないのか。
面倒臭いことを避けることは簡単。でもその結果が現在ではないのか。
友達になって下さいという言葉、本当に友だと思うのであるなら、そこに手抜きがある方がどうにかしてると思うが、なかなかそれが通じない。人と本質的に繋がれず、寂しい思いをしているのであれば、自分が面倒臭いと思うことに真摯に取り組んでこそ、解消できるのではないのか。
神道であれ仏教であれ、自然の摂理を説いているのだという理解。
光と闇は等しくあり、そのいずれかが是で他方が否、もしくは善か悪かという固定は意味を為さない。
是でも否でもポジティブでもネガティブでもお好きにどうぞ、であるが、どうであれ、そこに存在している以上、そんな色付けをしてもしんどいのは自分。
そもそもポジティブを良しとする傾向があるが、HIVでのポジティブはアウト、である。
なんやろ、ワシ、怒ってるわ・・・。
直ちに健康には影響がないと言い続けた挙げ句、それは健康ではなく、原発の状況が、との詭弁。そもそも直ちに害がない=中長期的には影響がある、ということではないのか。
・・・終わらんな。
さて、気を取り直して。
自分なんてたいしたことない、どうせ自分なんて、自分には才能がない。
それこそが最大のマインドコントロールである。
謙虚ってこととは意味が違う。
なぜ自分で自分を卑下する必要がある?
なぜ自分が自分を疑わなければならない?
自信がない=自分を信じていない=自分を疑ってるからこそ、でしょ。
自分にはできる。
できないと思うのもできると思うのも、自分であるなら、できると思えばいいのではありませんか?と思うのやが、どうなんでしょうか。
「なぜできないのか?」
その設問が如何におかしいか。
その問いに対する答えは、こーだからできない、あーだからできない、とできない理由しか出てこないでしょ。
それならば、
「どうすればできるのか?」
と設問を変えればいい。
記憶は過去のもの。
可能性は未来に向けて。
一寸先は闇。
本当にそうなの?
一寸先は光の世界で眩し過ぎて見えないっす、どうせわからないことであるなら、そう解釈したい。
『THE ZEN KAI』にご予約頂きました皆様、ありがとうございます。そろそろ定員に達しそうですので、間もなく受付終了します。当日お越し頂ける皆様にお願いがあります。
以下、元東電社員の言より。
「何かチェルノブイリの30キロ圏内にあるすごいきれいな泉を守った長老たちがいるらしいんです。どうやって守ったかっていうと、僕、こんなに原子力のこと勉強して、物理のこととかもある程度勉強したけども、目に見えない力ってのも絶対あるんです。その30キロ圏内にあった泉を守
った長老たちは、逃げなかったんです。逃げずにその泉をどうやって守ったか。祈りです。だから、そう言っちゃうと信じる人も信じない人も、どのぐらいの割合でいるかわかんないけども、もしちょっとでも信じてもらえるんだったら、朝、まず、福島第一が穏やかに眠りにつきますようにって祈りと、あと、出てしまって、僕たちが使った放射能じゃないですか。電気のもとだから。それが、愛と感謝の思いによって消滅して、無毒化するようにという祈りで、何とかみんなで力を合わせて、次の世代に伝えてもらえたらなって思います。」
この話を信じる信じないは各人の自由です。でも6/11はお亡くなりになられた方、また被災された方々へ、祈りましょう。内なる静寂をもって、祈りの波動を拡げていきましょう。
Sol