いっぱいのヒント
- DATE : 2008.06.15
- Cat : chezの独り言
ちょっと角田さんの事務所へ遊びに。
二郎さんが手掛けた内装。
いい物はいい、ただそれだけのことが、新しく写る不思議。
角田さんにお会いしての数週間、怒濤のように目紛しく、今日会うのも何度目かではあるけど、腰据えて話し込むのは初めて。
実は会ってはなかったけど、『HOME』って雑誌で連載してた時のADが角田さんで、そもそも縁はあったようなんだけど、会うタイミングは今やったってこと、なんやろね。きっと当時会ってても、こっちが若過ぎて、話が合わないってことになってたんやろうと思う。
会うべく人とは会うべき時に会うもんやと、改めて思う。
全ては必然。その通りな気がするけど、それは実体験が伴ってないと言葉遊びに終わる。未だわからん、そんなこと。言い切れるほど、まだ人間ができてない。やっぱ自分にとって嫌なことは、嫌やもん。それすら必然って言われても、愚痴の一つも言いたくなるって。その気持ちを抑えつつ、でも必然と言えるまで、もう少し時間を下さい、って感じかな、今は。違うかな、嫌っていう気持ちすら超越して、きっとエゴの正体を見極めた時、必然って思うまでもなく、ただただ起こったことと捉えれる心持ちになってるんやろな。訪れるのか?そんな日が。都合のいいことだけを必然っていうのは、それこそ虫が良過ぎる。
ホント、この人、面白い。
博識で、博学で、でも薄っぺらではなくて。
ある友人に、
「書かないとって思ってるうちは書くべきではない。書きたいと思った時が、書くべき時」
と言われて、その通りと思いつつ、その違いがよくわからなかったのです、実は。
でも角田さんと話してて、自分を曝すことは怖いことだと、それを超えれるかどうかだと、気付かせてもらったのです。今まで、怖くなくなるのを待ってたんやなって気付いたというか。
ある側面に関しては、当たり前にそうしてきたけど、この人生でこれほど怖いと思ったことは、かつてない、ということは、これこそがすべきことだということだと思ったのです。
ようやく見つかった、すべきことな気がします。
もちろんそれは誰かによって強制されたものではなく、自分自身が選択すべきことでしかなくて、やる必要なんてどこにもないけど、それをせずに死ぬことでの後悔は大きいと思う、という意味。
今の世の中の常識は、実は非常識なことが多過ぎるのではないのか。
変化を怖れるのが人であったとしても、否応なく変化しかないのだから、それは感情論として置いておいて、変化を受け入れることでしか、本当の安心は生まれないのではないか。如何に変化を怖れようが、個人的な願いとは裏腹に、同じなんてことはあり得ないのだから、そこに安心や安定を求めてるだけ、失意が生じるだけだと。
それが間違っているというのではなくって、前提がズレてるってだけのこと。要はそれに気付けるか、が大事ってこと。
かれこれ5時間。あっという間。
一緒に旅行に行こうって誘って頂いて、嬉しかったのです。
弱気になる自分を鼓舞できるのは、自分でしかない。
ありがとうございました。