At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

BLOG ブログ

12月

『Ginger Song Exhibition in 山代』スタート!

SOLでも定番の大阪のBirbiraと岐阜のqualiaの展示会in山代です。

陶器とガラス。

qualia林は、同じは存在しないからこそ同じに近づける、ということが職人の仕事なら、

自分もそこを目指してるし、そういう意味なら職人だと言います。

そんな話はご存知ないはずなのに、花人・川瀬敏郎氏はそのことを見抜かはりました。

Birbira Karco。

1人目出産してから自由度が増した。

2人目が間もなく。

次はどんな進化を果たすのか。

そして3月は、

伏見麻佳、鈴木りえ。

期待の女性陣、

と、

陶芸家・石井啓一。

んー男性とか女性の肉体に宿ってるけど、最早関係ない感じ。

やる度に進化し続ける、必然への理解のある態度。

そんな極みを体感できるかもしれないParty(葉渡莉15周年企画)が、

12/23(Sun)、行われます!

タイ人ニューハーフショウ!!!

ヒゲ女装・MONDO

によるDJ!
UDONBURGERZ Live!
などなど、盛り沢山な一夜!

CULB21で!

温泉入って蟹食べて浴衣で大暴れ!で、今年の締めくくり!

とんでもない世の中になってきてますが、来年こそは、美と非合理とをもって余裕を取り戻したいと思います。

お時間あられる方は是非山代温泉までお出掛け下さい。

SOL

2012/12/16

Rebirth !

お休みを頂いて、

12/15(Sat)

『TRANSIT TALK SHOW at Sol』

を皮切りに、リニューアルOpenします!

SOLの第二幕の幕開けです。

今まではフランス語の床という意味でやってきましたが、これからはアイスランド語の太陽という意味でやっていくことにしました。

ショップカード、名刺のデザインはHalにお願いしています。

基本、飲食営業はカウンターのみで珈琲とお茶と軽いもの。

現在のギャラリースペースは活かしつつ、プラスして、テラスの場所をミシン部屋にして、『rere tote』や織り座布団の充実、また、テーブル3つの空間を、今まで集まってきたいろいろを古道具として販売したり、坐禅の会、トークイベント、W.S、植物・野菜の即売、等々で動かしていきたいと思っています。

*2Fは半プライペート、オフィス+MTGスペース(喫煙可)とコタツの間(喫煙不可)

営業時間は、12:00-20:00(定休日検討中)

来年3/31(Sun)で2周年、同日、Hygge(JR丹波口・島原大門側)をお借りして、これまでの集大成なスペシャルお茶会を企画中です。

今後のイベントいろいろ

at SOL

12/13(Thu)『羽賀和尚による Zen at Sol』

12/15(Sat)『TRANSIT TALK SHOW at Sol』

2/16(Sat),17(Sun) 『大木ナーナリー・クリスマスローズ展』

3/31 2nd anniversary party ! at Hygge

5/1(Wed)-6(Mon) 『MAROBAYA展』

8/中『縒る遊び展2』

2/中 デザイン AsakaFushimi+製作 STUDIO A+おせっかい Solによる家具販売開始

9/中 『THE ZEN KAI vol.4』 & 『THE DAN KAI vol.1』

at 山代温泉・べんがらや

12/14(Sat)-24(Mon)『Ginger Song Exhibition』(http://blog.pushalley-oilalley.com/?eid=714)

3/9(Sat)-19(Tue)『伏見麻佳展』

3/30(Sat)-4/9(Tue) teto石井&鈴木Rinn『火遊び展 2』

6/15(Sat)-25(Tue) 梅星子『梅干し展 2』

at 加賀温泉郷

9/中 『加賀温泉郷フェス 2』

10/末『山代の旦那文化と美の巨人展 2』

よろしくお願い致します。

SOL

2012/12/12

風営法について

昨今話題の表題について、実はあまり知らないし、関心がない。

今更クラブて、という気分なので。

ただ、自分だって当時楽しんでいろんなことを学んだ場所ではあったので、現在はどうかしらんけど、少々やんちゃでないとね、と思うので、擁護する立場として、そもそも論を。

先日、

「獣性の極みと教養の極みを一にして道理と成す。 加減 ・按配・都合は、全て刃上にあり」。

という言葉を教わった。

置き換えれば、

昼の極みと夜の極みを一にして一日と成す。以下同文。

革新の極みと伝統の極みと一として文化と成す。

加減・按配・都合=0=バランスするところ、安定するポイント、基軸となる部分、品

現実問題そうなわけで、前提として進めれば、基本現在は獣性を下品だと蔑んでいる以上、バランスを欠いている。

人間も自然の産物である以上、獣性があって当然。その結果ここにいてるわけで。

下半身をさも大事にし出したのは結構浅いよう。江戸の半ばまでは下着はなかったそうで。

側室とかお方さまとか妾とか。

中国でも当たり前にあったようで、チャン・イーモー監督の映画『紅夢』は面白い。

とはいえ、今の学校教育は教養を身に付けさせない。教養が欠けるから獣性に目がいくだけで、教養を躾けることなんだろうと思う。更にその獣性を否定すればするほど反発がおきるという結果をみる。

どーせなら同時に人気のあるクラブからいろいろさまざま取り混ぜて、ガンガン朝まで酒飲んでタバコかなんか吸って踊りくるっていうイベント仕掛ける、とか。

警察も間に合わん、みたいな。

かわいい子には旅をさせろ。

実際にいろんな国を旅をさせてもらって掛け替えのないものになってる。

それは親に感謝する。

怒りながらも結局はやらせてくれたな。

未成年でお酒もタバコやったけど、それは怒らんかった。

隠れてやって火事はかなんと。

やってはいけないとされること、危ないこと、をやらせることも教育なんやと思う。

火の怖さを知らないとエラい目に遭うし。

なんで夜中にお酒飲んで踊ったらあかんのかわからん。

そこでの風紀が乱れるのは、教育を受けてこなかった当事者の問題。

ただこの国の義務に、教育を受けさせるというのがある以上、親の責任となる。

ある種人間性を殺ぐような教育を強いた後、社会に出るためには個性や人間味を問われるという。

その上、性的なものは恥ずかしいとされ虐げられ、挙げ句夜遊びまで禁じられてはたまったもんじゃない。

ケーキでも焼く♡

雇用を増やすと言いながら、職場を減らされても困るし。

ということで、15日の夜は踊り狂いましょう w / UBZ ! 

おっさんなので22:30クローズですけど。

ただ、よろしければ以下のようなイベントが。

UDONBURGERZのZこと、DJ NOMBが回すそうです。

獣性を肯定して、教養を伸ばす教育をしていく方向でお願い致します。

Sol

2012/12/08

9条護憲か改憲か

ようやく憲法改正(改悪?)という言葉が一般的に語られるようになってきたけど、さて、どっちの立場を取るのか。

とりあえず前文は変えた方がいい、という立場。

『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』


われらの子孫のために?

平和を愛する諸国民との公正と信義を信頼し?

平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において?

全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認、できませんけど?

いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない?

さて。

改憲となると一番の争点は9条になると思う。

改憲派の言い分を卑近な例でいうと、近所の家族の住む家に殴り込みに入りボコボコにし、包丁はじめ凶器となるものを一切奪い、二度と持つことを許さず、その上鍵も壊し、今後一切はワシが守ってやるからのぅという状態を、せめて鍵は掛け、正当防衛できるくらいの準備は、近所がきな臭いから更に枕元にバット置く?というもの。いわゆる世界標準に合わせるというもの。

護憲派の言い分としては、そもそも軍隊なんてものがなければ戦争なんて起きないのであるから、持たなければいい(裏にある軍事産業利権も見越した上で)し、世界もそれに見習うべきだというもの。日本の平和憲法こそ世界に誇れるものであるというもの。

攻めるヤツが悪いのか、攻められるヤツが悪いのか。

倫理観として日本の場合、騙すヤツが悪い。でも一歩海外に出れば、騙されるヤツが悪い、で動いていることに気付く。いわゆる自己責任論。

これに乗せれば、改憲派は、世界標準という大義名分を持ち出して、攻めるヤツがいる以上、守らないとねということで、かといって、自主防衛、正当防衛の手段としての軍隊が、結局戦争の片棒を担わされることになるのは火を見るより明らかなわけで。

護憲派は、攻めるヤツが間違っているのだから外交交渉・対話をもって解決しましょうということになろうかと思う。ただ、外交交渉・対話をもって解決できるんであるなら、それ以前に国内世論を対話をもって統一しておくべきで、それが果たせてないなら、対外交渉をもってして、というのにも無理があるはずで。

とはいえ、現実問題として、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、アメリカ等々、きな臭過ぎるので、守る必要も思う。いずれにせよ、9条掲げて自衛隊抱えてきたんやし、これからもそうでいいんじゃなかろうか。

9条は現行憲法でも能動的に戦い交わることをしないと言っているだけで、守る力を持たないとは言ってはいない。家に鍵を付けるのは自由。戦う意思持って武器を持つという話と家に鍵を付けるという話とは別の話の話。掛けるか掛けないかの選択もある。

自然権の自衛権みたいな話はきっとそのこと。オフェンスはなくて、ディフェンスはあると。

そもそもオフェンスがなければディフェンスは必要ないけど、現に今はオフェンスな気分満々な国があるわけで。

守る力は守るのみに使用されるということは当たり前の話で、戦争に関わることには一切加担しないことは必須。平和を解決する手段として戦争はあり得ない。そういう意味では災害救助のための海外派遣は率先してすべきやろうし。

解釈の問題、が発生する時点で憲法として如何なものかと思う。

9条を変えるんであれば、

「日本は自国を守るために自衛隊を持つんであって、戦争及びその援助に関するもの、それが世界平和のためであっても、一切加担しない。平和を解決する手段に戦争はあり得ない」。

ということを明言するとか。

ただ、ちょっと心許ないので、仏教の生みの国インドや、第二次世界大戦での緩衝地帯であり、唯一植民地にされなかった仏教国のタイあたりと手を組めば、と思ったりする次第です。

Sol

2012/12/08

TRANSIT 19号 『北欧特集』発売記念トークショウのお知らせ

*予約受付終了しました。


写真家・谷口京氏とTRNSIT編集長・加藤直徳氏とのトーク、

アフターで加藤くんお気に入りのUDONBURGERZのLiveも!

日時

12/15(Sat)18:00-

場所

京都市中京区押小路通油小路東入ル(全日空ホテル裏)

入場無料

*1ドリンクオーダーをお願いします。

*オリジナルポストカード付き!

お申し込みは、

reservation@pushalley-oilalley.com

*定員 30名

*電話による予約は承っていません。

 


Sol


2012/12/08

臭イモノノ蓋ヲ解放セヨ

スーパーで買った肉を食うことが「ある」のに、

そのための屠殺を担ってる部落出身の国家公務員を見「ない」ことに、

してしまってるという現実。

この対立を補完にする=レイヤーを上げれば、

屠殺はみんなで負担して差別を「ない」とする

or

人が肉食を「ない」とする

ということになるのであろう。

前者の「ない」が空で、後者の「ない」が無であるということ。

空とは、「ない」のではなくて、「ある」のに「ない」とされている領域を指すんだと思う。

無意識=体=地球環境等々。

元気、天気、空気、短気、暢気、気配

気遣い、気配り、気違い

気持ちいい

気という言葉を日常でどれだけ使っているのか。

でも気は見え「ない」。

かといってそれを「ある」と感じ観じてるから言葉は存在し、実際使っているわけで。

日本において近代以前は、気は見え「ない」としても、「ある」ものとして扱ってきた歴史がある。

最近は、見え「空い(造語=ない)」から「無い」ことにしてしまうという場面が多い。

それを合理化と呼んでいるのだと思う。

「空い」けど「ある」=空

「無い」から「無い」=無

「無」いものなんてどうしようも「無」いんだから、「空い」ものを意識して取り入れて、カタチ「ある」ものにすることが、今、必要なんじゃないかというのが、ここ最近の一連。

現実問題、大事なのはカタチ「ある」部分だけ、「空い」ものは「無い」んだから、との錯覚の上で作られたものが溢れてるわけで、それらが肉体的にも感情的にも精神的にも健康を害してるのは言うまでもない。

空の欠如したものは「空い」わけだから、仮にカタチになったとしてもすぐ壊れるし、所詮ゴミになる。そんなもん食うてたらオカシなるわ。

空に満ちたものであれば、それこそが「空(空いとされているものがある)」なわけで、結果、経年変化して増価する。健やかであるからこそ成長していくもの。

可能性が「無い」ところを目指すのではなく、単に見え「空い」だけの領域にアクセスすることを意識化すれば、カタチは自ずとついてくる。

それをアートと呼ぶはず、なのに、カタチしか「無い」ものでもとにかく作ればみなアーティストな現在。

気配を感じない生き物なんていないはず。

あるのは感度の問題。

感度であるなら、あとからいくらでも開発できる。

瞑想、坐禅、ヨガ、セックス、キノコ、アメリカでは州によっては解禁になったらしいマリファナ等々。

いろいろあるんだろうと思うけど、結局、一番いいのは、

正直であること⇄嘘つくこと=自分を活かすこと

なんじゃないかと思う今日この頃です。

*造語

「空い」

・読み

な(い)・ナ(イ)

・意味

「ある」のに「な(空)い」とされていること

Sol

2012/12/06

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