At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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9月

彼岸過ぎて

散歩。

曼珠沙華。彼岸花でええねんけど。

今年は10日頃から咲き始めて、連休中がピークやった。



柿も熟れ熟れ。

もう9月も終わり。
無から有を生み出す、そんなことは不可能やと思ってた。
でも笑顔とか掃除とかって、そうじゃないねんな。
不愉快だから不快だと表すことは自由だと思ってた。
でもそうではなく、自分が受け止めて、心地いいものに変える努力。
幸せになれる権利が保証されているのではなく、幸せになるために努力することは義務なのだ。
義務を果たすからこそ権利が与えられるのであって、権利を与えられて初めて義務を負うのではない。
どうも権利ありきで考える癖がついてしまっているらしい。

なんとなく引っ越し日を決めたのやけど、Floor閉めたのと同じ日でした。
そしてその日は友人の誕生日。その旦那の誕生日がワシらの結婚記念日で、うちの嫁の誕生日が彼らの結婚記念日、なんだか絡み合ってる。その娘が一人で遊びに来れるようになった頃、ワシらはどこにいるのやら。
人んちの子でも成長って、変化って面白い。
うちの姪が中学半ば過ぎて急に色気づいたというか。見た目とか服とかは幼いまんまやねんけど、言うことが、というか、興味あるものが変わった。ある時急に変わった。その方が話せることが増えたけど、こっちの想像がつかないような発想は聞けなくなった。
思春期、自我に目覚めるってこと?
甥の方ももうそろそろ、やろな。
所帯染みてんのもいいかもなと最近思う。

先ずは相手の話を聞いてみること。
これから当面の目標にします。

2009/09/27

今日のランチは


きつねうどん。

昨夜、打ちひしがれるような話を聞かせてもらった。
日々いかに否定している事物が多いことか。
競争より協力を。
そんなん言われても負けず嫌いやねんもん。
どこでそんなにねじ曲がったのかねぇ。

2009/09/23

トンチンカンな街

『おかる』っていう千日前のお好み焼き屋があって、美味しいし、オモロい店やねんけど、そこのトイレに入ったら、コレ。
大阪プロレスのポスター。
思わず写真撮ってもうたわ。

左、くいしんぼう仮面(くいだおれ人形)右、えべっさん(戎様)らしい。
なんじゃそれ。
タイガー"ス"マスクちゅうのもあった。
ちなみに『おかる』、お好み焼きの上にマヨネーズでアンパンマンやの、ドラえもんやの、通天閣やの、を描いてくれる。それがまた巧いねん。どんだけ練習したん?って感じ。個人的にお好み焼きにマヨネーズは邪道やと思ってるのやけど、ココのお店ではそれらを描いてもらいたいがために、許容することにしてる。サービスってなんぞやってことを考えさせられる。大阪に行く際は是非。
で、大阪プロレス。
勝った負けたの世界に、笑いっていう別の軸を持ち込む関西人の凄さ。しかもクオリティの低いことこの上なし。
なんか、勝ち負けなんてどーでもよくない?って言われてるような。
ええなって思った。忘れかけてたような気がする。
そういや笑うことのできる生き物は、人間以外いてないねんもん。笑いたいもん、じゃ笑わせてなんぼ、よね。
合理化も大事。でも切り捨ててはならんもんまで切り捨ててしまったのが今なんかもしれない。無駄と思うものの中に実は重要ななにかが潜んでるのかもしれん。
関西に戻るという決断は、間違いじゃなかった気がする。

そうそう、ようやっと家、見つけました。
またやりました。
どうやって見つけたん?って愚問はやめてね。なにも特別なことはしてない、ただただひたすら探したからです。
物件運ってものがあるとするなら、きっと強い方やとも思うけど、ワシ、それ以上にしつこいねん、多分。100%満足のいく物件なんて見つかるはずがないと思ってはいるものの、そこで生活してるイメージが湧かない物件に妥協してまで住みたくはない。
ちなみに今回も現在に引き続き、建築家の自邸でした。やっぱ創り手の思いが随所に見える建物って気持ちいい。これでええわ、ではなくって、これがいい、っていう、しっかりとした明確な意志による選択と決断が見えるってこと。

10/15、引っ越します。

2009/09/16

もう少し真剣になりませんか?

素敵な部屋にしたいのです、という依頼があって、まぁ仕事ってほどでもなくお手伝いしてる方がいるのですが、どうにもこうにも進展せず。
そもそも素敵な部屋ってどんなよ?
極端やけど、SM仕様の部屋を素敵!と思う人もいるやろうしね。
ワシの思う素敵にしたところで、それがその人にとっての素敵であるかどうかの保証はない。
実際、Floorやってた時も、素敵と言って頂けることもあったけど、酷評もあったわけでね。
一部の友人からは、ホントにゴミみたいなもんが好きだよねと言われたりするしね。
でも、ゴシックっぽくしろとか言われると、それはそれで対処する。だってそれはその人が過ごす空間やから。そのためのお手伝いをするわけで。

で、とにかくなぜ進展しないのかと言えば、その素敵の内容、その人がなにに心ひかれ、なにを素敵と捉えるのか、具体的にどんな部屋にしたいのか、それがないこと。
インテリアデザインをやってる先輩が、私の仕事はカウンセラーみたいなもんって言われてて、すごく共感した覚えがある。だからその人の趣向性や考え方、生き方ってのをインタビューすることに時間を割く。
でもわからない時もある。今回のようなパターン。だって、わかるもなにも、その本人がわかってないのやもん・・・。
だからとにかく、好きなものと好きでないもの、必要なものと不要なもの、先ずはその整理からやってみて、と言ったのが2月。
ちなみに、好き嫌いを横軸に置くと、必要不要は縦軸にくる。更に説明しておくと、必要不要は生活必需品か否かの意。もちろんそれも個人差はあるやろうけど。
ということは、
1,好きで必要
2,好きでも不要
3,嫌いでも必要
4,嫌いやし不要
という4パターンが見えてくるはず。
1はなんの問題もない。でもこれだけでは生きてはいけない。
2はなくても生きてはいけるけど、それがあることで本人を気分的に豊かにしてくれるもの。
3が結構問題。でもそれなら徹底して好きなものを探すか、好きになるように手を加えればいい。工夫、やね。
4はさっさと処分しなさい。
整理って、理(ことわり)を整えるわけやからね。

それが半年経っても整理が付かず、片付かず。
先日、ええ加減にして、と言うた。
そしたら昨夜メールがきて、
タロットに「なぜ、部屋の片付けができないのか?」を聞いてみました、とのこと。
カードに描かれた剣には、不要なもの、古くなったものを削ぎ落とす、とあったそう。
・・・同じことをワタクシ、散々言いましたけど?
余談やけど、こないだメールを頂いた方もかなり混乱状態と見受けたので、言いたいことを書き連ねさせて頂きましたが、どうやらその方、ご主人からも同じことを言われてたそう。ご主人から、それ、オレも常々言ってたよねって言われたらしい。
どうやら近くの人の話には素直に耳を傾け辛いものらしい。

そもそもね、
「なぜ、部屋の片付けができないのか?」
という設問自体がおかしいのです。
そういう風に考えることが理解できないわけではない。ワシも以前はそうやったから。でも今はそんなことは考えない。その前に片付け始める。
あの人は片付け上手なのに、アタシって駄目ね・・・ってことなんじゃないのかな?
生まれもって片付けが得意な人も中にはいるやろうし、育った環境がよく整理されてたか否かで差異もでるやろうけど、どうであれ、初めはみんな素人で、下手なもんですよ。試行錯誤の先に成長がある。
仮に片付けができない原因がわかったとしたら、部屋は片付くのでしょーか?

こっちに置いてみてなんだか落ち着きが悪いと感じたから、別の場所に移してみてまた眺めてみる。あと5cmズラしてみる。そんな繰り返し。そのパターンが多いと迷わなくなる。
実際、眼で見て確かめてるわけやもん。経験として知ってるってこと。だからイメージができる。未経験のものをイメージなんてできないです。例えば生麩を食べたことない人に、生麩とはなんぞやと延々言葉を尽くして説明しても、最終的にはわからない。結局、食べてみたら?って話でしょ。百聞は一見に如かず。

話は戻るけど、素敵とかって目に見えない感覚だからこそ、漠然とさせてはいけないと思うんです。
漠然とした不安がある、とか本当によく耳にするけど、それって、なぜか不安、ってことでしょ?ではなく、なぜ不安か?でなければならないんじゃないかなって思うんです。

考えても答えのでないことを考えて、考えれば答えのでることを考えない。
なんだかなって思う。

今、『平成経済20年史』って本を読んでるのやけど、是非読んで欲しいと思います。きっと読めば、騙された、欺かれたって思うこと多々かもしれんけど、それは見当違い。
なにも騙すヤツがいても仕方ないと言う気はないし、そら騙すヤツは悪いと思う。日本人として、騙すことは卑怯な行為だと教育されてきたわけやしね。
でも騙すことに罪悪感を持たない人っているみたいでね。なら騙されないように意識する必要は当然ある。それをせずして、騙したヤツが悪いって言うのは如何なものかって感じやん。
騙すヤツは騙すための努力をしてるのやから、騙される側も騙されないための努力をしないと駄目やと思う。だからといって、自分も騙していいってことにはならない。騙しもせず、騙されもせず、今はそんなスタンスが問われてるのやと思う。詐欺や偽装が常態化した世の中なんて嫌やけど、この流れを止める術を知らない。
だとしたら、漠然とした不安なんて言ってないで、自信がないなんて言わないで、真剣に自分と向き合うことが必要なんじゃないか、真剣に自分のルーツを探っていく必要があるんじゃないか、その結果、自ずと見えてくるものがあると思うのです。

真剣になってみませんか?

2009/09/08

墓参と本音

先日、横浜の中華墓地に行った。河北家の墓参。
義父に誰が入ってるのか聞くと、
「私の父母と、私の水子」
と。
いらんこと聞いたなぁって思いと、でもわからんものに手合わせるのも如何なものかという思い。
そんなことより、正直な人やなというのが一番の思い。
親族だからってことでもない気がする。河北父という人が正直な人なのだと思う。
価値観は違うけど、だから好きなのだと思う。
この日は日本の盆にあたるらしく、旧暦の盆なのかな?よくわからんけど、中国仏教のお経とかお参りの仕方とか、いい経験でした。
河北母の弟、rereの叔父さんもお参りに来られてて、ワシは初対面やったのやけど、
「日本の方ですか?」
と聞かれ、ちょっとハッとした。
先ず国内でそんな質問受けたことなかった、と思うし。
余談やけど、納骨堂が格好よくて。赤の使い方がさすが中国って感じやし、階段の角度とか、換気扇の位置とか。

で、昨夜友人宅で飯食って喋ってたのやけど、ビヨンセのライブについて。
どこでやったかしらんけど、とにかくすごかったらしいと。
ステージに出てきて腕組み仁王立ち、前から吹かした風の中、静止すること5分。ステージ左端で同じく2分、カツカツとピンヒールで右端まで行き同じく2分。
センターに戻ってマイク握って、
「What's my name?」
海老反りして笑ったわ。
凄過ぎる。
「Say my name!」
ビヨンセー!言うてる場合か。
オモロいわ、それは。
でもビヨンセは凄いわ。
別に好きではないけど。
とにかく背中にボタンとか付いてて欲しい。

本音で付き合いたい。
それは自分の勝手。
だから相手にも本音を求めるのは違う。
それはわかる、でも求めてしまうけどね。
それに本音がない人もいるしね。
・・・。
そうなのか。
本音がない人がいるってのは結構衝撃。
でも潜在的に無価値感を味わっているなら、顕在的な価値基準を持ち得てなくて当然かもしれん。だとしたら本音もないってことか。

物事を悪く考える癖があるから、いい方に考えるようにしなさいと言われたと。
「そんなんいい方に考えるなんて、考えてみたら不可能やん?どうしたらええねやろ?」
ワシ、やってみたらええねん、と言うた。
わははー無茶苦茶やなー、と言いつつしばらくして、ホンマやな、と。
やる前にやった後のことを考えて不可能やと判断を下してる時点で悪く考えてる証で、しかもやってないのやから、不可能かどうかはわからん。
失敗とは上手くいかなかったことを指すのではなく、やらないことを指すのだと思う。

私はアンタのその本音の切れ味が好きやと。そこは変わって欲しくないと。
でもねぇ、よく人を傷付けてしまうのだよ。
傷付くのは本人ではなく、エゴでしかない。
それはわかるけど、傷付いた方はそうは思っていないから。

引き続き、ちあきなおみの『紅とんぼ』を唄う八代亜紀を絶賛しながらの本音トークな夜でした。

2009/09/05