At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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チェの田舎暮らし

エコロジーってなに?

 『今更、エコといわれても』から考えると、丸3年。月日がたつのは早いね~。はぁ月並み。今回で最後、だから少し本音を書いてみたいと思います。

 自分たちは、今や先進国として、格差社会といわれながらも飢餓とはほぼ無縁の生活ができる日本という国に暮らしています。でも、はたしてそれで幸せなんでしょうか? もちろん、ここで不幸なんていうと叱られそうですが、かといって不幸ではないことがすなわち幸せということでない、とも思っています。なぜそんなことになってしまったのでしょう?

 エコって言わずもがな、エコロジーのことです。エコロジーってなに? 辞書には、「人間を生態系を構成する一員として捉え、人間と自然環境・物質循環・社会状況などとの相互関係を考える科学」とあります。これ、ちょっと無理がある、と思いません? そもそも、人間を生態系の一員と捉えようという意識がない。「そんなことはない、考えている」そう言われそうですが、それならなぜ、利便性と利益の追求に対して待ったを掛けようとしないのでしょうか?

 今、世の中を見渡してみると、この地球はまるで人間のためだけに存在しているかのようです。要は自分たちさえよければいいということ。だからこそ、エコなんて言わなければならないわけです。

 今言われるエコとは、環境にやさしいってことではないのでしょうか。辞書の定義とは若干違う。もちろん環境にやさしいことをすることに意味がないわけではなく、それでもやったほうがいいです、が、やさしいという言葉の裏側には、なんだか思い上がりが隠れている気がしてなりません。それは決して自然と自身が並列であろうとする姿勢ではない。

 人間は、自分が優位に立ちたくて、自分にとって都合の悪いもの、理解できないものを排除しようとする傾向を持つものだということは、ゲイとして生まれたことで痛感しました。だからそれを逆手に取ってオカマキャラで攻めてみましたって感じ~、の今までだったのです。

 マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と言ってます。ということは、愛とは関心を持つ、ということではないのでしょうか? なぜこれ以上便利であってほしいと望んでいるのか、明確な答えがありますか? なぜ必要以上の利益を欲するのか、即答できますか? まずは生態系の一員である自分という人間に対して、もう少し、関心を持ってみたらどうでしょうか? あなたにとっての幸せって一体なんなんでしょう? 不幸でないことを幸せだと錯覚しないでください。便利さとは楽をするということです。楽しいということとは根本的に違うのです。

 もうそろそろ無関心を装うのはやめましょうよ。そうではなくって、自分自身に関心を、愛を持ちましょうよ。それが本当のエコだと思うのです。

 今まで読んで頂いた皆様、ありがとうございました。

ecocolo vol.34より

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2009/12/20

お店、始めます!

チェなんて名前であることないこと書かして頂いておりますが、気付けばこの連載もはや1年半、同時に田舎に引っ越しても1年半。ここらでちょっと真面目になろうかしら。
いつまでこのオネエキャラやってくんだろ?と思いつつ、今更変えるのもどーかと思うので、このままの口調でいくわ。なんの自己弁護かわかんないけど、アタシ、普段は自分のこと、「ワシ」と呼んどりますし、関西弁で喋り倒してんねんでー。
なんの前振りかと言えば、ちょっとこの田舎にお店をオープンしようと思ってまして、是非皆さんに来て頂きたい、そして田舎を満喫してもらいたい、ときれいごとを重ねつつ、その宣伝。
アタクシ、以前『Floor』ってお店をやってました、吉祥寺で。なんだか疲れてしまって、田舎へエスケープしたんだけど、その復活にも1年半掛かったってことなのよね、結局。で、今回は『Toco』=床=『Floor』ちゅうことで形を変えてこっちも復活ってわけなんです。以前はカフェだったけど、今回は雑貨屋かな。ギャラリー的な使い方もできるようにしようともくろんでんだけどね。
こんな田舎で成り立つのかって言われるけど、そんなもん、やってみなきゃわかんないわよ。きっと大して儲からないと思うわよ。でもそれでいいわ。なんかね、「働かざるもの食うべからず」とかって言葉あるでしょ。全くもってその通りなんだけど、ということは、食うためには働けってことでしょ。ということは、食えればいいかって思うのよね。食うのも大変ですって?それは食うよりも大事に思うなにかがあるからじゃないのかしら?そもそも食うことを大事にしてるのかしら?食うために働くはずが、働くために時間がなくて、食うことが後回しになってたわね、以前のアタシは。
1年半、田舎でのんびりと、食べること、寝ること、生活することを満たしていこうとやってきた結果、人1人生きていくのに掛かるお金ってさしたる額じゃなかったってことに気付いたわ。以前はなににお金を使ってたのかしら・・・。
で、『Toco』で扱うものなんだけど、それがあれば便利!ってもんじゃなくって、あることで心豊かになれるもの、そんなものを扱っていきたいって思ってるの。その違いはまぁそれぞれで思い巡らせてみて。アタシにもわからんのだけどね、そんなこと。
とにかく、お店に来てもらうことで必然的に田舎に来てもらうことにもなるから、そこで「こんな場所での生活もありかも」って思ってもらえたらいいなって思ってるの。アタシは少しでもいいから、都心の人が田舎に移り住んでくれればいいのにって思ってるのよね。
ゴミの分別も大事。でもエコって、自然のふれ合いの中で自ずと育まれるもんだと実感してるのよ、今は。なにが育まれるのか?やったらわかるわよー。

ecocolo vol.31より

2008/09/20

一夏の海

もう葉山に来て、既に2週間以上。にも関わらず、まだ海には入ってないの、アタシ。たいして灼けてもないのよね~。好きじゃないのよね、海に入るの。海は好きなのよ。でも入るのはイヤなの。昨日も友人にバナナボートに乗らない?って誘われたんだけど、無理。しょっぱいじゃない。目、痛いし。つーか歳いくつよ?って感じよね~。ま、歳なんて関係ないか。
でも波の音は好き。あのリズムは心音に似てるから落ち着くって誰かが言ってたのか、そんな説があるのか、単にアタシの思い込みなのかわからんけど、落ち着くわよね。
で、一ヶ月海辺にいるのって言ったら、サーフィンやるんすか?とかしょっちゅう聞かれるんだけど、やんないわよ。やんなきゃダメなわけ?アタシはただ、遠目に海を眺めてたいだけなのよっ。アタシは山寄りの田舎生まれだから、海水浴に連れてってもらったりはしたけど、海は日常ではなかったのよね。だからちょっと海が日常な生活を味わってみたいのよ。
風が強いと波音が高くて、そしてTVが映らなくなるのよ。そんな当たり前の因果関係でも、海辺でないと成り立たないものもあるのよね。この歳になって初めて知ったわ。
伊勢神宮の木とか、八ヶ岳とか、太平洋とか、そんなデカっっってものをなんとなく眺める時間があるのとないのとでは、人生が変わるわよね。写真や映像も素敵って思うけど、実物のスケール感はやっぱ肉眼を置いてないわよね。誰かと同じ物を見たとしても、違うことを感じることってあるわけじゃない?そのズレが感性なんだろうし、そのどこに価値を見出すかが価値観なわけで、そのそれぞれが個性なんだろうしね。
洗濯機が回ってるのを眺めてたらやめれなくなるけど、波を見てるのも似てるわよね。同じ瞬間がないってことがはっきりわかる、それって見逃したくないと思うから、やめれないんじゃないのかしらね。
そして夜、思わず月を見上げてしまう、というか、月チェックをしてしまうのよね。今夜はどんな風に見えるのか、どんな形を、どんな色をしてるのか。月って女性性の象徴みたいなんだけどね。うふ。
時間の流れが時計によるものって思ってたけど、自然が刻むリズムを肌で感じて、過ごす方がより時間に正確になるっていうか、ま、腹時計みたいなものがもっと冴えてくるというか、頭で捉える時間と、身体が感じる時間では別物で、身体からの感覚の方が、生きやすいように感じるのはアタシだけ?なのかしら?って思うのよね。
忙しいと余裕を失うけど、同時に変な安心感を得るものよね。スケジュール帳が真っ黒だと安心、みたいな。真っ白なスケジュールで余裕がある日々ってふざけてるかもしれないけど、やっぱ贅沢でしょ。どうしたら実現できるのかしら~。やってみるわ、アタシ。

ecocolo vol.30より

2008/08/20

田舎から田舎へ

すっかり夏ね。9月生まれのチェは、夏が好きなの。なんでって?薄着だからよ。二の腕拝めるからよ。乳首透けてたりするからよっ。ムラムラモンモンするわよー。もっと~と思ったら、海行きゃいいのよね。そうすりゃ更に拝み放題なわけじゃない?
というわけで、葉山なのよ。葉山を田舎と呼んでいいのかどうかわからんけども、自然が多いのは確かよね。人間によって計画されたものが少ないってことがこんなに気分がいいなんてって思うわ。いや、人の作ったものも好きよ。かわいけりゃ、ね。最近なんだかテキトーなものが多いじゃない?それにイラっとすんのよねぇ。木々花々、波のうねり、同じものはないって気付けるから心地いいのよね、きっと。
ま、よそを田舎と言うのはおこがましいんだけど。うちんち界隈は、道すら土、街灯もなし、なんだけど。原始。
でね、その葉山なんだけど、お友達が住んでるのよ。前々から遊びにくれば?と言ってくれてたんだけど、わざわざ、ねぇ。海の魅力は捨てがたいけどさ、と思ってたら、夏到来!男の魅力に勝るものなし、と出掛けたわけよ。
はぁいいとことだったわ。波の音、水平線。部屋の中に居ながらにして、満喫よ。男の魅力なんて大したことはなかったわ。海の魅力。吸い込まれそうだったわ。え?吸い込まれときゃよかったって?ギャッフンッッッ!
今更そんなこと、アタシが語るまでもなく、みんなご存知だと思うけど、でも、あれが日常というのと、非日常というのとでは、まるで人生観が違うと思うのよね、きっと。海辺に住めるなんて限られた人かもしれないけど、だからといって初めから無理と思うのもいかがなもんかと思うわよ。
真夏にスーツでネクタイ。それも男の魅力よねぇ。そのままの姿で犯したいって夢は捨ててないけど、でもやっぱ不自然なのよ。犯したい願望も不自然だけど、そうじゃなくって、なんでヒートアイランドとか言いながら、ネクタイなのよ。見てるこっちが暑いのよ。クールビズとか結局一部でしょ。なんなのかしらね?アレって。
街の普通も普通。田舎の普通も普通。どっちが正しいなんて言えない、けど、なんだか今、街の普通だけが正しいとされて、そっちへ進んでいってるような気がするのは気のせいじゃないと思うのよね。そうじゃないのにって思ってる読者が多くて、エココロなんだろうけど、だったら行動に移す人が増えて欲しいと思ったりするのよね。先の心配なんてするだけ無駄。どーにかなるわよー。
考えることは横に置いて、もう少し感じてみたらどうかしら?と思ってアタシ、1ヶ月葉山で過ごすことにしたわ~。ごきげんよう。

ecocolo vol.29より

2008/07/20

お水1杯!

ブランチしましょ、と出掛けたら、狙い所はことごとくお休み。はっと思い出して、気になってたラーメン屋さんを目指しましたの。ラーメンって。どこがブランチよ、ねぇ。
場所をなんとなくしか思い出せなくて、右往左往、ようやく発見。なんだか匂うのよね、美味しそうなお店って。そんなことないかしら?それもそのはず。お店の名前は『香(シャン)』だったわ・・・わっかりやすいわね。
さて。
お品書きは、ラーメン、タンメン、ニラメン、餃子、ビール、以上。この店の売りは絶対にタンメン!間違いないわ。でもアタシの気分はラーメンなのよ、これが。そしてオジイの遺言も、初めての店では、蕎麦屋ならざる、うどん屋なら釜揚げ、ラーメン屋ならラーメンを食え、だったから、ラーメン食わざるを得ないわけよ。ちなみに寿司屋なら、先ずは生姜(ガリ)を食え、だったんだけどね。何故だかわかるかしら?理由は教えないけどね。
ラーメン、と思ってお値段見たら、350円。しかも400円を消しての350円。何故に?安過ぎる。餃子350円。同額かよ。ちなみにタンメン650円。この店では絶対にタンメンよねー。でもラーメンをオーダーするわよ。
店主はこだわってまっせ面な、上を下にしても成り立つような坊主髭面な、ちょっと怖ぇーぜ面。ラーメンと餃子ってオーダーしたら、目の奥に鈍い光が射したのは気のせいではないの、かしら?関係ないわよね、そんなの。アタシは食いたいもんを食いたいのよ。嫌ならメニューに載せなきゃいいじゃないのよっ、と心の声。
まぁその後に来るお客来るお客、皆タンメン。あらそう。それに自家製のラー油ぶっかけて食べてるの。美味しそ~。
そうこうしてると、上が下面が、「お帰りー」の一言。ランドセルな小学生が入ってきて、先ずはお水を1杯。息子さんが帰って来たのねって微笑ましく見てたわよ。怖ぇーぜ面が、「自分でできるよな」とか言っちゃったりして。まぁ優しい一面もあるのね、なんて思ったりもして。
飲み終えた息子、外へ。どこへ?と思ったら、今度は別のランドセルが2人。「お水下さーい」。
ん?
「ごちそうさまでしたー」「ありがとうございましたー」って、いい子達ねー、ってどういうことよ?「今日は暑いから、いっぱい来るだろうな」と店主。
ここは小学生の帰り道のオアシスなんだわ。なんと素敵なオアシス!ちょっといいもん見せてもらったわよ。
食べ終わって帰ろうとお会計、「ご馳走様でした」って言うと、店主、満面の笑み。人相が180度違うのよ、これがまた。
なにかしら、この平和な空気。田舎の時間は優雅だわ、やっぱ。
近日中にタンメン食いに走るわ~。

ecocolo vol.28より

2008/06/20

母参上

友人からメール。母がチェを気に入ったので、是非家に遊びに行きたいと言ってるのですが、いいですか。
その友人というのも、友人と呼んでいいのかしら?というくらい、アタシにとってはレベルの違うお人でして、友人というよりは、お知り合いといった方が正しいかもしれないわ、くらいな関係なのよね。早くお尻合いになりたいものよね。(ニタッ)
この間ちょっと用事で、そのお知り合いの家に行ったのよ。そしたら、しばらくの間、母が遊びにお越しだったのよね。そこで初めて母に会ったわけ。
お宅には、母お手製のマーマレードがあったのね。あら、美味しそ~って言うじゃない?普通。そしたら母も、食べる?とパンを焼いて下さって。もちろん、パンにはバターを塗った上にマーマレードなわけ。できる!って感じでしょ。頂いた後、退散、それだけのことだったんだけど、翌日、冒頭のメールが来たの。
気に入った?光栄だけど、マーマーレード美味しそ~しか言ってないのよ、アタシ。気に入られる相手が、来世お会いしましょうな勢いで、違うぅ~と思ったけど、先ずは外堀から埋めましょって思って、オッケーしたのよ。
1人電車でお越しになられた母がお土産、と下さったものは、『ターシャの楽しい生活』って本。なぜターシャ。いやね、今アタシ達の周りではターシャがアツいのよ。それを伝えると、母は、ご自身とターシャの出会いと繋がりを1時間かけての大演説、なわけ。それがまた面白いのよ。どんだけの好奇心と行動力なのよって感じで。
更に、息子のところでケーキ焼こうとしたら、なんの道具もないから、パスタ茹でる時に使う、目の粗い櫛みたいなの使って泡立てて、型もないから、炊飯器で焼いちゃったのだけど、それがまた上手く焼けて、と、無茶苦茶なんだけど、理に適ってるのよね。炊飯器でケーキ、みたいな本、出てるしね、ってその本、アタシの同居人が作ってるんだけどね、でその本あげたのよ。
なんなんでしょ、この縁とタイミング。来世で、と思ったけど、過去世でお会いしてたわね、きっと。
母見てると、気遣いと遠慮は違うって、改めて実感したわ。迷惑は掛けないように、自分のできることは自分でやる、でも、こんなことしたら、相手にどう思われるのか、そんなのはお構いナシ、なのよね。したいからする、以上。そこに迷いがないのよね。そういう人、楽だわ~。
今度ママんちに遊びに行くことになったわ。もう母ではなく、ママと呼ぶアタシ。完っ全に、アタシの内堀、埋められたわ・・・。

ecocolo vol.27より

2008/05/20

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