At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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『ボクらのゲンジツ』

ナンバー1になれないオンリー1

SMAP歌う槇原敬之さんの曲で、『世界に一つだけの花』というのがある。
その中の有名なフレーズが、「ナンバー1になれなくてもいい もともと特別なオンリー1」。
オンリー1なら既にナンバー1です。

京都大学総長でゴリラ研究の第一人者の山極寿一教授がインタビューで、
「勝とうとすることと、負けまいとすることは、違う。今の親は子供に、負けたくなかったら、勝ちなさいと言うが、それは間違っている」と述べられていた。
勝とうとするには、相手を押し退けないといけなくて、負けた方を卑屈にさせる。負けまいとすることは、ゴールが対等であることなので、争いがない。
勝とうとするのが猿で、負けまいとするのがゴリラで、人間とゴリラやチンパンジーは、98%程度のDNAは同じらしいので、本来は負けまいとするはずが、社会は猿化してしまってる。

勝とうとすることは、ナンバー1になりたいということ。
負けまいとすることは、オンリー1を認めること。

歌詞の中に、「僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うその中で 一番になりたがる?」とある。
仏教用語でいえば、諸行無常。
同じものも同じ時も存在せず、あらゆるものは変化する。
同じものがないなら、比べられないはずなのに、比べることが常態化してる。
犬は、四六時中、ランク付けをしているらしいと聞いたことがある。
犬化社会。

オンリー1なら、ナンバー1。
無人島でナンバー2ってちょっと怖い。
ナンバー1が、オンリー1とは限らない。
同着1位で金メダル2人とかある。

感覚は、違いを追い、脳は、同じを見出す。
レイヤーを上げるか下げるか。
同じから始まると、往々にして、違いを排他しようとする。
違いから始まると、共通項を探そうとする。

イジメが現実なのか、助け合いがゲンジツなのか。

2015/09/03

1の反対は?

数年前、友人から、「みうらじゅんさんが、『1の反対は0じゃなくて、-1』って言うてるんやけど、アンタ意味わかる?」と聞かれたことがある。
瞬時には、頭の中は、???状態、しばらく考えて、あ!そっか、となった。
面白かったので、その後、会う人会う人に、「1の反対ってなんやと思う?」と聞いてまわったところ、「-1」と答えた人は非常に少なくて、大多数は「0」と答えた。
余談ながら、他の少数意見として、「無限大」と「2」というものがあった。

「1」の反対を「0」と、問われるまで考えたこともなかったのに、なぜかそう思い込んでいた怖さ。
もし「1」の反対が「0」なら、真ん中は「0.5」になる。前提がズレてたんでは、世の中もズレて見えてたはずで。

きっと「0,1」の関係が、唯物的で、在るか無いかで、見えるものだけで、科学されたものだけで、の考えるという世界、
「1」の反対は「-1」が、マジョリティの答えなら、神秘とか精神とか心とか愛とか芸術とか宗教とか宇宙とかが、もっと受け入れられてるはずで、
「1」在るためには、「-1」見えない作用があり、感じるという世界、なんだと思う。
具体的にいえば、電気をつくる(1)には、石油やウランが減ってる(-1)という関係。気を遣う(1)、疲れる(-1)の関係。
みうらじゅんさんの言葉を借りれば、空車・空室・空き地はあるのかないのか、ということ。
色即是空の空。
無い(0)のではなくて、「1」在るために「-1」有る、ということ。

「0,1」の現実が、現在のマジョリティ、デジタルの世界。
「-1,1」のゲンジツは、アナログ。
人間は、存在がアナログなのに、意識に引っ張られてデジタルに生きようとする=バランスがおかしい=病気。「気」が病に罹ってるわけで。
「気」とは、観えず、非科学的だと思われてて、天気・元気・空気・気を遣う・気が重い・気持ちいい、等々、日々使ってるのに、あまり意識はしていないもの。もちろん-1。

今、生きにくい人が多いのは、世の中がデジタルだから。地デジなわけで。
「-1」を意識して、アナログに、考えることより、先ずは感じること。
そして、感じたことに対して、正・誤の判断は下さないこと。
判断は、社会性を保つ上で、必要とされるだけのことで、自身が感じたことに、不正解は存在しない。
感じたことを感じたままに生きることを、「在るがまま」と呼んでるんだと思う。

「-1」が無いと、「1」も無い=「0」。
在るために、観えていないだけで有るものを、認めることができないから、他者から認めてもらうことを、安心としたいんだと思う。

お釈迦様がお悟りになられた時に、「一切は無駄である」と言われたらしい。
感じたことを感じたまま=純粋・無垢・無作為=無駄がない=在る世界。

陶芸家・河井寛次郎さんの言葉。
「鳥が選んだ枝 枝が待っていた鳥」
「花を見ている 花も見ている」
禅語の「卒啄同時」に同じ。
ちなみに、金子みすゞさんの詩も、「1」と-「1」とが書かれている。

「1の反対は、0ではなくて、-1」。
「-1」というゲンジツ。

2015/08/23

プロローグ

TVを観なくなってから5年が経とうとしている。
理由はいくつかあって、1つには、地デジ化に伴い5,000万世帯が一斉にTVを買い換えることへの違和感。
また、3.11東日本大震災での原発事故後の政府や東電の対応を見ていて、税金や電気代を払うことの意味、
そしてその使われ方に疑問を持ち(原発の是非についてはここでは言及を避けるけど、なくていけるならなしでいって欲しいという希望はある)、
税金はさておき、先ずは電気使用量を減らそうと思った時に、TVはエアコンよりも使用量が多いと知り、やっぱり観なくていいかということになり、今に至ってる。

いざ観なくなって、なんら困ったことがないことを少し不思議に思ってる。
やっぱり手放す以前は毎日のように観るともなく見て、気づけば数時間経ってたりしてたわけで、
それがなくなる=生活習慣に変化が生じ、TVを観ない・持たないというのは、2010年時点に於いては、自らマイノリティに属することを選択することになるわけで、
そのいずれも、生まれてからそれまで1度も経験したことがなく、それに対しての躊躇があったのに、そんなのは杞憂に終わってしまったという意味で。
そしてTVのないことが日常化してきたら、身の回りに観ていない人が意外にも多いことに気づいた。
その人たちに共通することがいくつかあって、そこでのゲンジツは、TVのある生活での現実とは明らかに異なっていた。

その2つの、ゲンジツと現実について、以項で述べてみたいと思う。

2015/08/23