At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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決めると決まる

  • DATE : 2013.05.05
  • Cat : Sol

サラリーマンを否定はしませんが、往々にして上司なりの存在があるがため、先ずは意見をお伺い、ということに慣れてしまって、自分はどうしたいのか、を自分がわからなくなるみたいです。

そこで聞きます。

誰かが、「それやっていいよ」って言ってくれて初めて前に進むと思ってなかった?と。

それが、人に決めてもらってるということです。先ずは自分がどうしたいのかを自らに問い、その上で決断を下すことが先なんです。結果はどっちでもいいんです、というか、果報は寝て待つしかないのです。

ゴールを決めるからそこに至る道が見えるのは当たり前の話です。北極か南極かどっちにしよう・・・と思ってる以上、いつまで経っても到達するどころか、そこに至る道筋すら見えないわけです。

仮に本を出したいとします。とはいえ、別に書籍化することが目的ではないんですね。目的は別のところにあるわけで、しかしながら、出版したいとなれば人を説得しなければ叶わないということが往々にしてあります。内容に共感してもらったとしても、数字的裏付けがないと通らなかったりしますが、でもその数字的根拠なんて一体誰にわかるというのでしょうか?

そんな無根拠なものよりも、自分の確信を貫くことが本気ということになると思います。

本気でそこに意味を思うんであれば、自費でも出版しようと思えるかどうか、です。

実際、Floorの時、絵本ですが自費で2,000部作りました。当時、スタッフだった田所さんのイラストがヤバいくらい繊細な線画で、彼女はイラストレーターとしてやっていきたくて、いろいろと出版社に営業したわけですが、どこにも相手にしてもらえず凹んでたので、そしてワシはワシで思い入れもあったので、世の中が相手にせんのなら認めさせてやろうじゃないか!と絵本にしたわけです。それに応えて後藤繁雄さんがタダで編集してくれはったりして、とにかく世に出たわけですが、そんな彼女は現在、松本でtadokorogaroというギャラリー兼ショップをやっていて、また、風土倶楽部のリンゴのイラストや京都のひつじドーナツのショップカードなんかを手掛けたりしています。

今思えば、結果的にですが、雑誌仕事をやらなかったことが良かったと思っています。

また手前味噌になりますが、このお店をする際も、こんな場所はダメだとか、内装に際しても、こんな仕上げはあり得ないとか、散々言われました、けど、やるのはワシなわけです。その人達の意見を聞いて上手くいかなかった時、誰が責任を取ってくれるというのでしょうか?

確信がありましたし、持とうと思いました。自分が美しいと思うものに対して妥協する気はありませんでした。同じ人はいない以上、どこまでいっても所詮は自分の思う美しさしかわからないわけです。少なからず、新品ピカピカばかりが美しさではないと思ってましたし、経年変化による味は時間にしか創れない以上、それは人には作れないわけで、ということは、そこにも価値があるはずなのに、簡単に捨ててしまう現状に対してもの申したいという思いもあったわけです。

誰かに指示を仰いで、お墨付きをもらったからやる、とか、反対をされたからやらない、というんであれば、それは自分の人生を歩んでいることにはなりません。

そんなこと言ったって自分には決裁権がない、と思うのかもしれませんが、それは組織の上において、の話でしかなくて、また、決裁権を持つ者を口説けないんであれば、そのしたいことというのは先ず実現しないと思います。

本当にしたいことなら、人の反対を押し切ってでもやらねばなりません。

そのことで人生は拓けるのです。

なぜ人が反対したからといって思いとどまる必要があるのでしょうか?

もちろんそれが人を騙したり傷付けたり迷惑を掛けることであるなら踏みとどまるべきでしょうが、単に認めてくれないだとか意見が違うとかでしかないなら、放っておけばいいではないですか。

時が来れば決まる、なんてことはないです。

今、やると決めるからこそ、未来において実現するんであって、決断を先延ばしにすれば、実現も遠のくばかりです。

何事においても、決めるから決まるのです。

SOL