At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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私は自称アーティスト

  • DATE : 2013.05.03
  • Cat : Sol

先程、行政からの依頼を受けて、アーティストの活動支援をしているという若者が来たので、どんな支援をしてるの?と聞いたら、制作活動費の支援や京都在住のアーティストは京都から出ないので活動範囲を拡げるための支援うんぬん。

・・・よくわかりません。

ていうか、その支援をしている対象は、そもそもアーティストでもなんでもありません。

仮に支援というんであれば、作品を買い上げることです。活動に際して支援してしまえば、そのアーティストは死にます。

手塚治虫ら漫画家の巣窟となったトキワ荘のような場所を作りたいと、そのような箱を用意しようとする活動があるそうですが、それこそ本末転倒なわけです。そこに入れば成功できると思うような者は先ずモノになりません。

アートの語源は、美及びそれを創造できる技能ということです。であるなら、美とはなにかと根源的に問う必要があるはずです。にもかかわらず、自称するアーティトの作り出すものは往々にして、世の中からウケるであろうもの、綺麗に整ったもの、使用目的が明確なもの、言語で定義できるもの、だったりするわけですが、それらはデザインと呼ぶべきです。少なからず、美ではなく世の中の評価に向かい合ってるわけで、それは既にアートではないわけです。

本来のアート作品とは、なにに使うわけ?とか、意味不明・・・みたいな捉え方をされがちですが、自身にしか観えない世界であり、本人にしか聴こえない音を具現化している以上、そう易々と理解されるはずがありません。しかしながら、その領域で生きている者同士は瞬時にして理解し合えます。そしてその領域で生きている者は、間違っても自身をアーティストなんで呼ぶことはありません。肉体を持って生きてる以上、全体把握なんてできないわけで、だとしたら美に対しても根源を問い続ける必要があるということで、にも関わらずアーティストを自称できるということは、掴めるはずのない美の根源を掴んだと言っているに等しい以上、傲慢極まりないということなります。掴めないものを掴んだと言えてしまう感性でしかない以上、アートを語る資格すらありません。

悟ってると自認できることも同様です。悟りとはなにか説明できるはずもなく、真に悟っているのであれば、その存在は既に特別であるはずで、他者もそのことに気付くからこその悟りなはずです。故に自認しなければならない理由はどこにも見当たらないわけです。

また、ヒッピーという存在がいます。ヒッピーの語源はヒップ、丸みを帯びてあらゆることを包み込むというような意。対義語はスクエア。にも関わらず、ヒッピーを自認できるということは既にスクエアなわけです。わかるでしょうか?着古したT-shirtsをタイダイで染めてなお着る行為がヒップなんであって、タイダイTを買って着ながらヒッピーを自認されても、それは単にスタイルでしかありません。

美の根源を問えば、世の中の美の不在がなぜかという問題に行き当たり、それを解決するために自身を使って表現することとなり、そのための闘いが始まります。創造は情熱であり、裏を返せば怒りなわけです。いずれも第一チャクラ、赤のエネルギー、なんてことを言うから不審がられるのでしょうが、目に見える世界だけで成り立ってると思ってる時点で初めから話にならないわけです。

例えば絵を観るとします。表面上のものは一結果でしかないわけです。そこには描くための技術を習得するまでの時間があり、それを描く際の動機があり、描き上げるまでの時間があり、心の動きがあるわけです。また、その時間に音楽を聴いたり、風の匂いを感じたり、側で子供が戯れていたりするわけで、それらは全て否応なく込められ、また現れます。単に視覚的要素でしかない絵に、五感全てが含まれてしまうわけです。優れた絵描きともなれば、視覚的要素でしかないものに五感全てが影響するという意識が当然あり、それを視覚的要素に集約することができるからこそ、優れているわけです。それは立体であっても同様で、音楽となれば聴覚的要素に集約させるということになります。であるなら観る際も、立ち現れた結果のみを見聞きするのではなく、それ以前にあるものを五感全てを動員して観るという姿勢が必要だということです。

話は戻って、美の根源を問う結果、自らが見出した解答を表現することにより、そのことによって世の中に影響を与え、変えることになるわけです。その行為こそがアートであり、悟った者の努めであり、ヒップな存在なはずです。それを自称及び自認できるということは、その目的は、世の中に問題提起をすることではなく、所詮認めてもらいたいという自らの欲でしかない、ということになるはずです。だからこそ、自称アーティストに対して違和感を持つ人が多いのだろうと思います。

誰一人として理解してくれなかったとしても美の根源を問い続けている者に対して、金銭的援助はかえって辿り着くべき道のりを遠くのものにしてしまうのです。そうではなく、その姿勢に対し理解を示してあげることなんだろうと思います。そして支援と言うんであれば、自身も美や世の中の問題の根源を自らに問う姿勢こそが、一番の支援となるはずです。

目的は肩書きを持つことではなく、納得がいく世の中を構築することなのではないのでしょうか?

自身が認められれば、それで事足りるのでしょうか?

問題は山積しています。それを所詮他人事、と放置することなく、我が事として捉え、問題解決に向かえる者こそが、真のアーティストなんだろうと思います。



SOL