寺ではない寺
- DATE : 2013.04.24
- Cat : Sol
最近、お気に入りの空間があります。
石川県・金沢にある、鈴木大拙館。
特にレアな高級素材を使ってるわけではなく、また、いわゆるデザインしましたっていうわざとらしさがないにも関わらず、なぜ?を突き詰めた結果のカタチがあって、それこそが本来的なデザインってことなんだと思いますが、そこに一切の妥協が見当たらない場所。
精神性を帯びた空間、静けさと時計時間とは違う時間の流れる空間、を生み出す術は、そこにこそあると、感じ入った次第です。
これは、内部回廊と呼ばれる、片面が黒い鉄の壁で覆われた廊下。
この背中合わせに、外部回廊と名付けられた、白い漆喰の通路があります。
色、素材、温度、内と外、閉鎖と開放。
対比、両極で中道を表しているのだと思います。
いわゆる寺院建築の形式を全く踏襲することなく、とはいえ寺とはかくあるべき、とのお手本のような、寺ではない寺。
本質とは、そういうことなんだろうと思うのです。
余談ですが、この日、たまたまおられた、鈴木大拙氏の元秘書であり、また同館の名誉館長であられる、岡村美穂子さんが、
「主体と客体に分けることなく、感覚的に全体を掴むこと。その上で、感覚でしかないもの=言語外の領域を言語化できてこその理解であり、それが心を科学するということである」。
と、大拙先生が仰ってたことだけどね、といたずら好きな少女のような目をしながら仰いました。
主客を分けるとは、自らを依怙贔屓している、ということで、感覚的に全体を掴むことができる人を芸術家肌等と呼んだりするのだと思うのですが、ここでは、右脳的要素であるイメージを、左脳を使って具体化させること、個人的なものを一般化させることの重要性が説かれているのだと思います。
上記を踏まえれば、上手く言葉やカタチにならないのは、そこに自らの理解が及んでいない、ということになりそうです。
とにもかくにも、設計された建築家・谷口吉生氏に敬服すると同時に、それを実現された金沢市に敬意を表したいと思います。
金沢へ行かれる予定のある方は、21世紀美術館もいいですが、こちらにも是非、足を運んで頂ければと思います。
SOL