At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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感性の磨き方

  • DATE : 2013.04.22
  • Cat : Sol

このガラスは割れますか?

カレーは辛いですか?

子供を連れて行っていいですか?

以上のような異常な質問を平気で投げ掛けられる人って、びっくりするほど多いです。

割れないガラスも、辛くないカレーも、子供だから排除されなければならないいわれも、ありません。

その真意はどこにあるのでしょうか?

正しくは、

このガラスは割れにくいですか?

カレーはどの程度辛いですか?

子供を連れて行っても迷惑にならないような環境でしょうか?

ということなんだろうと思います。

しかしながら、

割れないように扱うのは本人。

どの程度のものを辛いと感じるのかも本人。

子供が性格的に耐えれるかどうかを判断するのは親である本人。

なわけです。

これは、自らすべき選択と決断を、他者に委ねているということです。自分の人生を生きてない。それに対し、こちら側が負うべき責任はどこにもないはずです。

先ず、顕在意識的に、今にいない=無意識状態=ぼーっとしてる。

次いで、潜在意識的に、リスクを負いたくない、という思いを抱えている。

ワシ、ハッキリ物言いますので、辛くないカレーってありますか?とか、今日始めてお会いしたのでどの程度を辛いと思われるのかわかりません、とお答えするんですが、そうすれば、感じ悪いとか、怖いとか言われます。

ちょっと待てと。

感じ悪いのはそちらですよ?とさすがにそれは言いませんけど、心の中では叫んでます。ここでいう感じ悪いとは、自身の感じ方、感じる力の悪さを指します。

上記の質問を不用意に投げ掛けられる方は、迷惑を掛けてはいけない、と信じてられるのだと思いますが、ではなぜ迷惑を掛けてはいけないのか、また、迷惑とはどういう行為を指すのか、自身の頭で考えられたことがあるのでしょうか?

そもそも、無意識で不用意に質問を投げ掛けるという行為が既に迷惑である、ということに気付かれる必要があります。迷惑とは、迷い惑うと書きます。ということは、本人が迷い惑ってることが、既に迷惑なわけです。迷惑とは優柔不断と置き換えてもいい。

子供を連れて行くことで迷惑を掛けたくないというんであれば、連れて行かなければいいわけで、迷惑を掛けるかもしれなくても連れて行きたければ連れて行き、その先での対応を自らがきちんと行えばいい。

それだけの話であるのに、子供を連れて行っていいかどうかの判断を相手に委ねるということは、そこに迷いと惑いがあるわけで、即ちそれこそが迷惑、というわけです。

少なからず、その子供の年齢や性格的なこと等、判断材料の提示があるのならともかく、子供と一括りにし、丸投げができてしまうことは、確実に想像力の欠如なわけです。感じが悪いってこと。

ここで難しいのは、本人は迷惑を掛けているにも関わらず、気遣いをしているという錯覚、だからこそ感じが悪いなんて思い至るはずもない以上、完全に意識の逆転が生じてしまっている、ということ。いわゆる話が通じない。

ややこしいので、再定義しておきますが、いわゆる感じの良い悪いといわれてるのは、与える印象が、という意味で、こちらのいう感じの良い悪いは、感性が鋭いか鈍いかということです。

感性の良し悪しは、先天的なものはあるにせよ、後天的にいくらでも開発でき得るものです。

本当に迷惑を掛けたくないんであるなら、自身がどうしたいのかを先ず自らに問い、自らが決断することが必要で、そのことによって、自身がどう感じているのかを知ることになり、結果、感性が磨かれるということになるのだろうと思うのです。

SOL