日本人の精神性の崩し方
- DATE : 2013.02.01
- Cat : Sol
今日、病院で待ってた時に、ミヤネ屋が始まって、見るともなく見てたら、内柴準強姦で実刑判決5年、とかやってて、かなりの違和感。準ってなに?準であるのに執行猶予つかず?
で、判決後に内柴、涙を流し、ちょっと暴れたとのこと。五輪連覇を成し遂げた男がそんなに往生際悪いもんかね?
検察側と弁護側の食い違いをみても、弁護側の言い分の方が整合性を感じるけど。
「内柴をハメめますか?」という言葉を聞いたと言う証言があったっていう気持ち悪さ。
そして時同じくして、園田監督の暴力というか体罰流れの問題。
これ、柔道がJUDO化してることに無関係ではない気がするのは考え過ぎ?
本来柔道って、一本勝ちを目指すもの。それが無茶苦茶な投げ方でも勝ちゃええとなってしまってる現在。投げるもなにも、それ以前に帯を緩めて解けやすくしてみたり、道着の襟を分厚くして掴みにくくしてみたり、ちょっとイヤラしくないか?と思ってしまったりもする。とにかく相手の反則を待って、僅差のポイントで勝つ、とか。イラッとすんね、あーいうの見てると。
今は勝ち負けばかりを大事にするけど、本来日本人は、勝つにしろ負けるにしろ、その勝ち方負け方を大事にしてきた文化を持っている。
そもそも、評価基準は勝ち負けの2つだけではない。
勝負を縦軸に置いたとすると、美醜を横軸に置かなければならない。
そうすれば以下の4つが発生する。
・美しい勝ち
・醜い勝ち
・美しい負け
・醜い負け
美しい勝ち方を目指すことは、必然的に負ける方も美しい負け方になる。逆も然り。
だから美しい勝ち方を目指すことは、相手を思いやる行為でもあるはずで。
「力で抑えれば恨みが残り、技で勝てば心服する」と、かの諸葛亮孔明も言っている。
柔道、剣道、武士道、茶道、華道。
美しさと思いやる心を何よりも大事にする教えが道、それを品と呼ぶんだろうと思う。だからこそ日本刀は美術品に昇華する。
そして勝つためには手段を選ばぬ、そんなやり方を、下品と呼ぶ。
相撲も八百長やのなんやの、ホントもウソも取り混ぜて、SUMOになってしまった経緯を考えると、さて、今回の一連も同じ臭いを感じますが、考え過ぎでしょうか?
戦後、アメリカによって、神道における最重要植物である大麻が麻薬性の1点において取り締まられ、塩が専売制で塩化ナトリウムに置き換えられ、水道水にカルキが混ぜられ、ふんどしは時代遅れにされて丹田を締めるということもなくなった。
かの国は日本人の精神性の高さがどこにあるのかよく研究されてますね。それを当の日本人が知らないだけで。
既に、検察と司法はアメリカの犬状態か。
ええ加減にせえよ。
SOL