At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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9条護憲か改憲か

  • DATE : 2012.12.08
  • Cat : Sol

ようやく憲法改正(改悪?)という言葉が一般的に語られるようになってきたけど、さて、どっちの立場を取るのか。

とりあえず前文は変えた方がいい、という立場。

『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』


われらの子孫のために?

平和を愛する諸国民との公正と信義を信頼し?

平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において?

全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認、できませんけど?

いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない?

さて。

改憲となると一番の争点は9条になると思う。

改憲派の言い分を卑近な例でいうと、近所の家族の住む家に殴り込みに入りボコボコにし、包丁はじめ凶器となるものを一切奪い、二度と持つことを許さず、その上鍵も壊し、今後一切はワシが守ってやるからのぅという状態を、せめて鍵は掛け、正当防衛できるくらいの準備は、近所がきな臭いから更に枕元にバット置く?というもの。いわゆる世界標準に合わせるというもの。

護憲派の言い分としては、そもそも軍隊なんてものがなければ戦争なんて起きないのであるから、持たなければいい(裏にある軍事産業利権も見越した上で)し、世界もそれに見習うべきだというもの。日本の平和憲法こそ世界に誇れるものであるというもの。

攻めるヤツが悪いのか、攻められるヤツが悪いのか。

倫理観として日本の場合、騙すヤツが悪い。でも一歩海外に出れば、騙されるヤツが悪い、で動いていることに気付く。いわゆる自己責任論。

これに乗せれば、改憲派は、世界標準という大義名分を持ち出して、攻めるヤツがいる以上、守らないとねということで、かといって、自主防衛、正当防衛の手段としての軍隊が、結局戦争の片棒を担わされることになるのは火を見るより明らかなわけで。

護憲派は、攻めるヤツが間違っているのだから外交交渉・対話をもって解決しましょうということになろうかと思う。ただ、外交交渉・対話をもって解決できるんであるなら、それ以前に国内世論を対話をもって統一しておくべきで、それが果たせてないなら、対外交渉をもってして、というのにも無理があるはずで。

とはいえ、現実問題として、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、アメリカ等々、きな臭過ぎるので、守る必要も思う。いずれにせよ、9条掲げて自衛隊抱えてきたんやし、これからもそうでいいんじゃなかろうか。

9条は現行憲法でも能動的に戦い交わることをしないと言っているだけで、守る力を持たないとは言ってはいない。家に鍵を付けるのは自由。戦う意思持って武器を持つという話と家に鍵を付けるという話とは別の話の話。掛けるか掛けないかの選択もある。

自然権の自衛権みたいな話はきっとそのこと。オフェンスはなくて、ディフェンスはあると。

そもそもオフェンスがなければディフェンスは必要ないけど、現に今はオフェンスな気分満々な国があるわけで。

守る力は守るのみに使用されるということは当たり前の話で、戦争に関わることには一切加担しないことは必須。平和を解決する手段として戦争はあり得ない。そういう意味では災害救助のための海外派遣は率先してすべきやろうし。

解釈の問題、が発生する時点で憲法として如何なものかと思う。

9条を変えるんであれば、

「日本は自国を守るために自衛隊を持つんであって、戦争及びその援助に関するもの、それが世界平和のためであっても、一切加担しない。平和を解決する手段に戦争はあり得ない」。

ということを明言するとか。

ただ、ちょっと心許ないので、仏教の生みの国インドや、第二次世界大戦での緩衝地帯であり、唯一植民地にされなかった仏教国のタイあたりと手を組めば、と思ったりする次第です。

Sol