At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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前提の整理

  • DATE : 2012.12.04
  • Cat : Sol

いわゆる妾的なものが否定されて、戦後赤線が廃止されて、浮気不倫は倫理的にダメとされて、夫婦二人で仲睦まじく、が正解である、という現在。

発散させる道を途絶えさえておいて、巷にこれだけ性的興奮を煽るものをバラまくってオカシな話やと思うけどね。

そのストレスからの反動でって犯罪も少なくないはずで、そこにまつわる民事的な事件も多々あろうと思う。

皇室が危ういってことは、国民の選択がおかしい、ということではないの?

続くべきものが途絶えようとしてる=続けてきたものを放棄するような方向へ。

それは別に皇室に限ったことではない。

瞬間的なもの。

それも必要。

でも瞬間が成り立つのは永遠があってこそ。

そういう意味でこの国はどこへ向かおうとしているのか、さっぱりわからない。

第一、原発のことにしても、福島の現在、放射能の問題、にあるさておき感は一体なに?

経済うんぬん。

必要ない人間にまで税金という名の生活費支給、ましてや接待交際費まで払う気ないしね。

そもそも、日本は現在においても放射能をまき散らしつつ、地球環境を汚染している=世界に対して加害者である、ということは語られる気配もない。

それで外交問題とか論じられても、起きてから言えと思うよね。起きろよ。覚醒した上での覚悟を見せろつー話よね。

貨幣経済が栄えれば栄えるほど、自然は衰退するのだと思う。

資本主義の資本がお金であるなら、お金はなにで担保されているのかという。金本位でない以上、犠牲になるのは自然なんだろうと思う。

自然のサイクルを人間の時計時間に合わさせることに違和感がないのは危険な気がする。そうやって育ったもの食べてれば、自分のリズムが薄くなるのは成り行きかもしれん。

そもそも時間は空間とセットであって、お金と時間は関係がない。

にもかかわらずお金と時間はセットである、と思い込む現代人。

第一、日本銀行は政府の機関ではなく、単なる私企業。それが通貨発行券を有する謎。

また、交換の手段・機能としてのお金そのものが売買されるという不思議。

橋本龍太郎や中川昭一の二の舞になりたくはないけど、彼らの死を無駄にもしたくない。

政府紙幣に言及して消されたケネディとかね。

現在におけるお金というものに対する認識は大概ズレている、ということはわかっておいた方がいいと思う。

時間をお金に置き換えるためには、時計という装置が必要になる。が、この時計という装置は、人間が共通の時を得るためのものでしかなく、実際問題時計時間というものは存在しない。

そもそも正確に時を計る装置は未だ作られてはいない。というかそんなことは不可能なわけで。(詳しくは、『14歳のために時間論(佐治晴夫著)』

その存在しない時間を根拠に、時給、月給、年俸が算出される。

例えば、背が高い・低い、太っている・痩せている、その他諸々の身体的個性によって、刻むリズムはそれぞれのものであるのやが、それではかなり不便なことになる。

具体的に言えば、ワシの火曜の12:00という感覚が、人にとっては水曜の4:00ということもあり得るわけで。それを共通させましょう、という基軸としたものが時計であって、あくまで結果でしかないということ、なのに、あたかもその基軸が前提となってしまっていることが現在における不幸なんだと思う。

アインシュタインが、「好きな人といる1分はあっと言う間でしょう。ストーブの上に座る1分のなんと長いことか」的な言い回しで相対性理論について述べている。

好きな楽しいことをして過ごす時間はあっという間、嫌々ながら過ごす時間の長さは辟易もの。

この感覚時間が実際に自分が生きている時間にイコールとなる。

職業不詳の好き勝手に生きてる人の老けなさ加減は半端ないけど、実際、あっという間しか生きてないんやもん、若いに決まってる。その反面、したくないことをお金のために時間を売る生き方をすれば、当然まだ水曜かよ、という日常なわけで、それだけ長く生きているから老けるわけで。

今前提とされていることを疑いなく信じることも自由ではあるけど、仮に違和感を抱いたんであるならその根拠、自らの頭を使って問うてみる必要があるんじゃないでしょうか?

Sol