選挙の行方
- DATE : 2012.12.03
- Cat : Sol
原発必要推進論
反原発卒原発論
反原発と思いつつ利権絡みで推進派
どっちでもいいけど流れ的に反原発派
全く興味なし
比率は知らんけど、こんなとこかと。
といったことの反映が小党乱立、ってことでもないか。
一つにまとめるって大変。
移住というても、先祖代々の土地やお墓を離れて、とそう易々とはいかないわけで、仮に命と土地の重さを天秤に加計てどっちが重いのか、と聞かれたら、出せるのは自分にとっての答えでしかなくて、他の人がどう答えるのかは知る由もないという。
ぶつかり合う2つを足して2で割るというやり方ばかりではなくて、衆議院と参議院があるんであれば、その区分けに使えばいいんじゃなかろうか。
なんだかんだ言うても結局、自衛隊は存在するし、ましてや派兵させるし、核は持ち込まれたそうやし、どの口が嘘をついてはいけませんっ、て言うてんのかという。
そんな大人に支配された国に住む子供たちに夢がないのは仕方ないわな。
お金という守らなければ減っていくものに価値をおくのも好きにすりゃいいけど、ある程度手を掛ければ大きく育つものに価値をおいた方がいいんじゃないの?という主張までをも踏みにじられる覚えはないけどね。
十分、お金に価値を置く姿勢は理解したつもりではあるけど、逆理解は先ず成立しない、のはなぜか。
どっちが正しいとか間違えてるとか、そんな話をしているわけではないのに、そう捉えられるのはなぜなのか。
みんなと同じ安心できる答え、とか、お互いのことをできうる限り理解し合える相手が理想、とか、過去に後悔・未来に不安、とかを求める自由もあれば、答えは一つではなく、同じ人はおらず、同じ瞬間もない、という立場にある自由もあるはずで。
その共通理解の上での話し合いでないと、解決するものも解決しない。
仮に共通理解に至ったとしたら、今の政治機構では機能しなくなるやろうけど。
とはいえ、その共通理解が得れないから困ったものなわけで。
本来ならTV電波はそのために使うべきもの、が逆の事態になっているのはなぜか。
今まで臭いものの蓋の中味は見てこなかったからこれからも見ない。
見たくないから見ないのも自由。
ただ選択肢として、
見たくないけど見る
見たいから見る
見たいけど見ない
というのもある。
どーであれ人であるなら見る前に観てるはずやと思うけど。
そこから話始めませんか?
仏教神党
みたいなんがあって欲しい。