At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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教育の失敗

  • DATE : 2012.11.30
  • Cat : Sol

インドでは、人に迷惑を掛けてはいけない、ではなく、人に迷惑を掛けずになんて生きてはいけないのだから、迷惑を掛けられたら許しなさいと教えるらしい。さすがに0を発見した国は言うことが違う。これはなにも人に迷惑を掛けてもいい、ということを言っているわけではない。故意に掛けられる迷惑はやっぱり迷惑に違いないわけで。ただ良かれと思ってやった結果が迷惑でしかなかったということは往々にしてある。

日本の場合、迷惑を掛けてはいけない、と教わるため、自分は迷惑を掛けないようにしているという意識があるのだろうと思う。だから自分は迷惑を掛けてはいないと思い込み、結果、他者からの迷惑への許容が少ないのだろうと思う。

そもそも考えてみると、親しい間柄とは、お互いに掛ける迷惑を容認し合える関係、ということ。当の本人にしてみれば迷惑なんて思ってなくて、ちょっとお願い~、ちょっと甘えさせて~ってことなんやろうけど、それは親しいから許されてるだけで、関係性が変わればそんなお願い厚かましくてできません、となるわけで。

京都来て早々に鷺珠江(河井寛次郎記念館学芸員・寛次郎孫)さんにお会いさせて頂いて、即、うちの店で珠江さん所蔵の寛次郎茶碗でお茶会という無謀な企画をさせて頂いたのやけど、その際にもよそからは厚かましいと言われた。割ったらどうすんの?とか、お道具の搬出入だとか、時間的拘束だとか、確かに迷惑なんやけど、でもそんなこと以上に骨董屋や美術館でショウケース越しに眺めることしかできないものを実際に手に取り口に付け味わえる体験は貴重なはずで、そんなチャンスが可能であるなら、という思いは嘘ではないわけで。

その代わり、掛けた迷惑に対して、こちらも掛けられる迷惑にいらっしゃい!でありたいと思う。

この勘違いの根底にあるのは、「みんななかよく」という強迫観念なんだろうと思う。努力目標とするのはいいけど、現実的には無理だということをちゃんと教育すればいいのだと思う。なかよくしなければならないのにできなくて、その罪悪感から逃れたくて、となっていくのは必然だと思う。

単一民族だから言語や価値観や一般常識や基礎素養に共通認識があり、という前提があった上でその思想?が成り立ったのかもしれんけど、そこが崩壊してきてる今、成立しなくなってるんやろうと思う。

これは聞いた話なので根拠はないけど、その人がどうあっても許し好きでいてくれるという相手が2割いるそうで、逆2割はどうあがいても生理的に無理という人の存在で、残り6割はその人次第で敵にも味方にもなるんだそう。ということはどう努力しても最大で8割しか味方にできないということ。2割の人とは努力したところで仲良くはなれないという。でもこれ、感覚的に正しいと直観しますが如何でしょ?

自分に置き換えてみれば、どうにも合わんという人がいる以上、自分とどうにも合わんと思っている他者がいるのは当たり前の話やのに、往々にして他者から嫌われることを恐れ、必要もない愛想を振りまき疲れるという無駄をしている人をよく目にする。

更に言えば、自分には苦手な人がいることは許しておいて、自分を苦手な人の存在は許せないってそんな勝手な話通じないと思うけど、これが通じると思ってる人が如何に多いかってことで。

八方美人でも2割にはウザいと思われ、2割でなくてもちょっと鬱陶しく思うのに、八方美人を気取ってみたり。みんなに好かれようとして、8割=八方から嫌われる人=八方美人、なんかもね。

で、自己主張はしたいと言う。主張をすれば、同じ人はいない以上、賛も否も生じるのは当たり前の話。主張せずに八方美人でいても嫌われる時には嫌われるんであるなら、言いたいことを言えばいいと思う。初めから2割は味方なんであるなら、残り6割を味方につけるための主張をすればいい。

というようなことを、幼いうちから教えてあげれば、多少は生きやすくなるんじゃないかと思うのです。

そもそも、必ず正解は存在し、それは1つである、というところからして既に破綻してるしね、今の教育って。

Sol