At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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眼聴耳視

京都に住む以前の民藝のイメージ。肉厚で垢抜けのしない手作りな感じ。それはきっと地方の民芸風蕎麦屋等で培われたのだと思う。そのイメージは河井寛次郎氏(以下、寛次郎)との出会いで払拭されることになる。とはいえ、亡き人なので、お孫さんの鷺珠江(河井寛次郎記念館・学芸員)さんを通して知ることになるのだけど。

ある縁を頂いてSOLで2度、『河井寛次郎の器と安来のお茶会』というのをやらせてもらい、その度ごとに寛次郎の輪郭が明確になっていってる現在。打ち合わせはいつも寛次郎記念館の裏にある、仏壇の前で寛次郎の器でお茶を頂きながら。個人邸として建てられた町家でもない木造の家。住宅街にありながらの静寂さは涼気を感じたりする。かといって冬は寒いわけではなく、ある一定の気温を漂わしているような。実際の体感とは別の気の温度があるような気がする。

その昔、鷺さんのお母様、寛次郎の1人娘が物選びのポイントを質問したそうで、それに対して「いい質問だ」と言い、数日後に以下の回答があったそう。

1,誠実

2,簡素

3,健全

4,自由

「これジーンズと似てない?」とは鷺さん。民の芸ということであれば、名もなき作り手による工業製品の中にも見出すことができるはずで。そうだとすれば、『無印良品』という存在が最早『無印』ではないという矛盾と、権威付けされた民芸は同じ構造な気がする。今問題とされてるピストバイクも安全面で問題があったとしても、フレームの削り出しの技は民藝的だったりする気がしてる。

日本の美、と言えば、すぐに侘び寂びとなるけど、それは定家和歌十体の中での「幽玄」に当てはまるそうで、縄文土器や江戸文化の歌舞伎の隈取りや鯉のぼり等のデフォルメは「拉鬼」というらしい。

30代で中国陶磁器を踏襲していた寛次郎も70代ではいよいよ花を活け辛い花瓶なんかを創る。洗練に集約していくタイプと自由度が上がっていくタイプがあるとすれば、寛次郎は後者。ただカタチの問題ではなく、誠実であり簡素であり健全であり自由であること、が生き方の上にもあったから、器や木工だけではなく、言葉や空間にも、それが漂うのだと思う。一言でいうと、祈りにある静けさ。ルイス・バラガンと通ずるなにか。

「手考足思」、「手讀足解」、「手念足願」、それぞれ寛次郎の言葉。読み方も残されていないそうなので、好きに解釈するとすれば、頭は横に置いておく、ということか。個人的に一番好きなのは、「眼聴耳視」。まるで禅の公案のよう。できるできないを考えることは脇において、先ずは手足でやってみること。誰もはじめは無名で新人、やっていく先に、耳で聞こえない領域を眼で聴くことができるようになるのかもしれません。暦の上では芸術の秋(寛次郎の生まれた乙女座の月でも!)、そこ目指してみるっつーのは、どーすか?

Meets 292号より