At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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実現のさせ方

  • DATE : 2012.04.28
  • Cat : Sol

こないだ羽賀和尚からお願いごとをされた。内容としてはそんなに難しいことではないけど、かといってカタチにするには障害が多い。スケジュール的にもかなりタイト。さてどうする。

もう話は決まってる。

やる。

やる上で実現させるために必要な要素を洗い出す。

どうすればできるか、ではない。

やるにあたってどうするのか。

希望ではなく、やると決めること。

希望とは、希な望みと書く以上、実現の可能性は低い、とみて間違いないと思うけど。

今、この瞬間において、決める、ということ。

どうすればできるのか、という考え方は、決断を先に延ばしにしているに過ぎない。

もう少し詳しく。

例えば100m走の場合、あなたはここからあそこのゴールまで走るのです、と決められているから、そこに向かって走り出し完走したのです。

他人の定めたスタート地点から始めて、他人の定めたコースを走り、他人が定めたゴールを目指す。

そこに正否善悪は問わない。

ただ、自分が実現したいことの場合にも、それ前提で考えるから話がおかしくなる。

主語が他人の文章なんだから、全て自分を主語に置き換えなきゃならない。

自分が定めたスタート地点から始め、自分の選んだコースを走り、自分の決めたゴールを目指す。

この例に当てはめて雑誌を作ると解いてみる。

雑誌を作りたいと思う。そこをゴールとする。

先ずはいつ始めるのか。

そのゴールへ辿り着く道、

・タイトル・コンセプト・デザイン・カメラマン等々

・サイズ・紙質・ページ数・どちら開きか等々

・部数・単価・経費・協賛等々

を経て、

ゴール!

に至るわけで。

今抱いてる想像の中でも、創造の過程においても、その細かい諸々を決めるのは言うまでもなく、自分。

往々にして、自分がゴールを決めるけどスタートが決めれなかったり、ゴールの素晴らしさは説くけど全くコースが見えてなかったりするもの。

よくある成功法則本に、

『実現したいイメージを具体的にすること』

なんて書いてあって、なんのこっちゃと思ってたけど。

具体的に出来ないからこそ実現させれてないだけで。

あきる野の家は、というかあきる野暮らしは自分にとってはかなり大きな賭けやった。今思うとホンマに日々気分が悪かった、3年間。自分が間違っているという観念との闘い。自分が観じているものが世間では切り捨てられているという違和感。それを美とか華とか遊びとか無駄とか呼ぶのだと思う。

あきる野のあの家に出会う前、当時の吉祥寺の家からまだ見てない次の家に対して紙に書き出した。今も残ってる。

・家賃10万以内

・4LDK

・都内まで2時間(電車・車問わず)

・庭に桜の木があって犬がいる

・海の近くor見える

・和室1室

等々。

実際、

・家賃9万

・4LDK

・都内まで車で1時間

・庭にはソメイヨシノではなく、サクランボがなる木、実は全部鳥にやられた。カルム。

・川の側

・和室1室

途中で海は違うかも?山と川?と思ったって経緯はあるにせよ。

別に凄いことでもなくて、探しただけで。徹底してみた。

とはいえ、そんなに探しまわって何年も掛けたわけでもない。2ヶ月。

物件運がいいって言われることがあるけど、そんな運ってあんの?知らんけど。

で、なんか気付けば京都にいてた。

スルッと流れ辿り着いた、けど、変な話、室町時代に臨済宗の僧として妙心寺にいたような気がしてる。尾張屋が尾張から京へまかり越した頃、とか思ったりしてしまうくらい、馴染む。周りがどない思ってはるのかは知らんけど。

でもあきる野の家も、加西の家も、良かった。

いろいろ気付いた。

建築家が自分の住むために建てた家たち。

吉祥寺の家もそう。

そういう家は、やっぱり使われてる素材も自然で質のいいものが多い。

光の採り入れ方、風の道、動線、キッチンの作り、トイレやお風呂の使い心地、ディテールまで行き届いてる。

もちろん大家さんの人柄もいい。

そんな空間で過ごすことも、人を健やかにさせる。

空間は、住んでみて、過ごしてみて、初めてわかる。何事においてもやけど。

Solのオープニングで東京から来てくれたJ(歳下やけど師匠と呼びたいくらいな友人)が、アナタの本気を見たわ、と言ってくれてうれしかった。

お寺や教会や美術館に漂う静けさは、宗教やの価値高いとされているものやのが収められているからってだけでもない気がする。

名宿名ホテルに流れる心地良さは、単に高い料金を払ったっていう優越感だけではないはずで。

それを掴んだなんていう気はないけど、空間と時間はイコール、いずれを扱うかの話かなという、程度。

出来る出来ないの話をしても仕方ない。

出来たいわけなら、出来ないことを考えても仕方ない。

出来たい?変な日本語。

多分それを成る、と呼ぶんだと思う。

成せば成る。

うちの祖父がよく口にしてた言葉。

「出来ると思ったら出来る。出来ひんと思ったら出来ひん」。

お寺と焼き物をこよなく愛す人でした。

Sol