At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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偏見との闘い

  • DATE : 2012.04.26
  • Cat : Sol

勝手に入ったスイッチは、切り方もよくわかってない。勝手に切れることがあるのか、このまま継続するのかわからんけど、とにかくまだスイッチは入りっぱなしなので、突き進むことにする。

なんのスイッチか。書いてしまう、勝手に紡がれる言葉。

『能動的な自信』というネタから連チャンなわけやけど、基本同じテーマについてあっちからとかこっちからとか書いてて、そのうちあっちで書けば理解が及び、こっちはあまり理解されずってのがあるということがなんとなくわかってきた。なので今回はあっちで書いてみる。

ある友人は漠然とながら将来に夢を抱いてる。その漠然とした夢は、将来実現させたい。ま、よくある話。その漠然とした将来の夢の内容を、具体的に突っ込みながら聞けば聞くほど、今すぐできるよね、とこっちは思う。なぜやらないのか。

お金がないから。

だからできない。

(貯めるとかの選択肢はないとした上で)じゃどこかから借りれば?

それは嫌らしい。

なぜ嫌なのか。

自分には返せないかもしれないという不安=自分には返せるだけの力がない、という信念。

その根拠は?

ない。

なぜ根拠がないのに、返せないと決めつけることができるのか。

そもそも、借金したことがあるんですか?と問う。

ないにも関わらず返せないとはこれ如何に。

それを偏見という。

借金=ネガティブなイメージがあると思う。で、実際、借金はネガティブなことなのか。

借りる側がいれば、貸す側もいる。

では貸す側はポジティブなのか?

少し戻って、もし自分が金融機関なり知人なりから借金をしようとする。まぁ100億貸して欲しいと言うたところで通らない。せいぜい1,000万、いいとこ500万ってとこかと。所詮返せるであろう額しか借りれない。返せるであろうものですら返すことができないってことは、必要ないものに使っている、ということになると思う。

借りて返さないということがネガティブなのであって、借金がネガティブなのではない。

ただし、借り方にはいろいろある。利子とは、高速道路を閉鎖して通りたければ金払え、と言っているようなもの、となにかで読んだ。ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も利子を取ることを禁じているとそれもなにかで読んだ。ただし、その宗教徒においては、というエクスキューズがつく。だから成り立ってるだけで。お金と時間については『モモ(ミヒャエル・エンデ)』が面白い。子供向け、大人必読。

以前の『1の反対』の中で、「1の反対は0ではく、-1」ということを書いたけど、往々にして1の反対を0だと捉えてる人が多い。前出をここにのせると、1の反対が0だとしたら、貯金と利益しか存在しないことになる。なにかが増えるということは、なにかが減るということ。逆にいえば、一方が貯め込んでいるからこそ、他方では不足が生じる。格差。

そういう意味で、マイナスというものは必要になる。マイナスも別にネガティブでもなんでもない、けど、なんだかネガティブなイメージ。

並列でみれば、捨てるも同じ。捨てれないという人は多いけど、いろんな理由はあるにせよ、もしかしたら今後使うかも?その時に後悔したくないし、ってなところなんじゃないかと思うけど、まぁ3年後も結局1度も使わずに同じことを繰り返す。ものに付帯する思い出に浸る時間があってもいい。でもそれ以上に新たな思い出を今、創ること。

別の友人は将来自分名義で雑誌を創りたいと言う。

なので聞いた。

自分でプライドは高い方やと思う?そうでもない?と。

答えは、プライドはないというか、低いと思います。

更に聞く。ここでいうプライドとは?

自己顕示欲と。

本来のプライドとは誇り。

自分に対する誇り、日本という国に残る文化への誇り。

ワシの場合、そういう意味でのプライドは高い。

今いわれる自己顕示欲的なプライドは、かつてバリバリにあったけど、今はどーでもいい。

雑誌と関係ないやんと思う?

彼の場合、伝えたいことがあるために雑誌形態をとって世間に投げ掛ける、と言ったのではない。

自分名義の雑誌を創りたいと言う。

だから聞く。コンテンツは?

もし今目の前に2,000万用意した、好きに使っていいから雑誌1冊創ってみ?と言われたら、どんな雑誌創るの?と聞いたら、返答なし。

プライドの意味もわからず、自分の自己顕示欲がものすごく高いというか、それしかないくらいであるにも関わらず低いと言う。

これを偏見という。

あらゆる差別の因は偏見。偏った見方。

世間から、社会から、世界から、差別を無くしたい。若い頃の夢。

でもそんなことは無理なのかもしれない、今の思い。

でも諦める気はない。

だから先ずは自分自身の偏見を取り除くことから始めようと思った。

養老孟司氏が講演で自分とは何か、とすばらしくわかりやすい例で仰った。

カーナビゲーションシステムがあるとします。その中で最重要の機能はなんでしょうか?要するにカーナビで地図を見るのに一番重要なものはなにか。

答えは、現在地(を示す矢印)。

自分とは、その矢印のことです、と。

世界があって、今ここを表す矢印及びその内側が自分。

例えば病院で滅菌消毒されたシャーレに唾を吐く。検査をしてどうぞ元にお戻し下さい、と言われても、汚いと思ってしまうのが常。子供は言う。なぜお口の中の唾はキレイなのに、お外に出したら汚くなるの?

それが自分であると。

みなさん、よく覚えて帰って下さい。自分は自分に依怙贔屓してるもんなんです、と。

自分を特別視している=自分に偏って見てるわけで。

自分は善人である、自分は普通である。

軽くウソをついたことがあるけどそのくらいは許されるであろうから善人。

中肉中背成績中間平均所得一般的生活=普通。

だから差別はいけませんなんて軽々しくも言えるんだと思う。

少なからずワシにはそんな恥ずかしいことは言えない。

してしまってるよね、だから気付いていかないとね、と思う。

だから気付けた、偏見の大元についてあーでもないこーでもないと書き続けているわけで。

ここまでくれば、なんであんなにカレーは辛いですか?ということがおかしな話やと言い続けてたことの意味がご理解頂けたんじゃなかろうかと思いますが、今となっては辛いですと答えることにしてます。

わからんもん。

まぁ食うてみ、と。それに更に辛そうな真っ赤のライムのピクルス混ぜてみ、と。

驚くから。

暑い国の人は辛いものに対する感覚が繊細な気がする。

ライムを唐辛子とスパイスとオイルで漬けるなんてセンス良過ぎ。

オモロいなと思ってる人は大概驚いてくれる。

なんのことない、烏丸御池下ルYAMAYAさんで売ってます。

気が向いたら自分でも作ってみる。

なんかものの仕入れ先とか、どこの調味料使ってるとか、家具はどうしたとか、諸々お知りになりたい方は店頭にて聞いて下さい。野菜に関しては都度都度なので把握しきれてませんが、美山とか滋賀とかそんな感じ。こちょっとやられるのってやっぱり気分が良くないしね。紹介すればいずれもメリットが生じるのにっていつも思う。うちも紹介したことでそこさんと信用が増すし、もちろんそこさんも売上げが増えるし、紹介した先もうちの卸値で通る。三方両得。

加えて、いいものが拡がることはいいことだと思う。

ホンマにその添加物は大丈夫なの?とか思いつつ使うからストレスなわけで。ストレスは万病の因。

誰がどこでどのようにして作っているのか。

通常発酵には最低このくらいの時間が掛かる、というところを人工的に早めて造られた発酵食品。微妙やと思うけど。CMで流れてるそれを大型スーパーの安売りで買う。その先なんだか調子が悪くなって病院にいったらお会計でギョッとする治療費を払う。ま、トータル赤字やろな。アメリカの金融機関のトップは保険会社。この意味わからないと。ま、そんなことは永くは続かないやろうけど。

少々高くても、ちゃんとものを作ってくれてはる人を応援したいと思う。そんな人たちのものをお客さんにも提供したいと思う。前例でいけば、なにも高くない。本当の意味で普通に食べて普通に生活すれば、そんなに医者にも行かず、ということは健康保険料も安く、となっていく気がする。

世界No.1のハンバーガーチェーンのトップは家族には自社の商品は食べさせないらしい。好きにすればいいけど。

法を犯さないとした上で、買う自由も買わない自由も売る自由も売らない自由もある。

ちゃんと買ってちゃんと売りたい。

養老節再開。

矢印が溶けることがあるらしい。

キノコだとハッキリ仰った。時に宗教体験に同義とも。

スティーブ・ジョブスはどっかの大学の講義で、Lをやったことがあるか?と聞いたとなにかで読んだ。今自分が知覚している自分の外側の世界を感じることができる、らしい。深層心理学の世界では、自分とは2人いるとのこと。自分だと思っている自分と、その外側にいる自分。彼は禅を理解?というのか禅的な人だと思う。

そして、その矢印が溶けた際、ジョブスでいうところの外側の世界が、ナビの画面に映っている地図全体。全体を自分とチャネルすること。

矢印であるところの私が溶ける、解ける、説ける。変換上から3つ、全部当てはまる。

キノコなのか、Lなのか、禅なのか、瞑想なのか、ヨガなのか、マクロビオティックなのか、神道なのか、道教なのか、SMなのか、プロやオリンピックレベルでのスポーツなのか、カルタクイーンなのか、研究を突き詰めることなのか。

極める。

それが昨日の『限界を超える』なわけで。

自分を特別扱いしてるから、肩の荷が重い。

自分の出したものを汚いと思う人がいる一方、他人の出したものを喜ぶ人がいる。

どちらが正しいのかなんて、判断できない。

自分の出したものなら平気で他人の出したものは嫌って人もいるやろうし。

下品ですみません?

そもそも下品と上品の区分はどこにあるのか。

自分のしたことに対して正直にあれる人に品性を思う。きっと生き方がそれを物語る、それを多くの口が伝える。やや強引。

そもそも、偏見を持つ・持たないも、自由。

ただ、持ったら持ったで、肩凝るよ?という話。

単なる依怙贔屓でしかない、今でいうところのプライド、自己顕示欲という自分。

そんなもん必要かね?というのが、お釈迦様の仰るところかと。

Sol