At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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一切は空理空論

  • DATE : 2012.04.22
  • Cat : Sol

そういや毎日ブログ書いてた時期がある。書かなければならないという勝手な使命感で。今は・・・ついつい書いてしまう。オナニーのし過ぎってヤツ。

うちの親父は気難しい人、だと多くの人に思われている気がする。そう思っている人は多いし、そう思ってた。方や親父の友人たちは親父を気楽なヤツだという。気を難しく感じるのか、楽に感じるのかの違い。多分、本人は同じ。見てる側の見てるとこが違うだけ。

そのうちの親父がどっかのお寺でお坊さんに『空』とはなにかと聞いたらしい。

例えば、尿検査で使ったグラスがあったとする。それを丁寧に洗って煮沸した後にお水を注ぎました。その水が飲めますか?と。その一部始終を知っているから飲めないのであって、単にグラスに注がれた水なら飲むでしょ、と。知ってても知らなかったことにすればいい。

それが『空』である。と仰ったそう。

実話か作話かわからんけど、今でも自分の中に残ってる。親父はちょいちょい忘れて何年も経ってからその話をしたら、あーあれはワシが作った話、と涼しい顔をして言う。

10代の終わり、バブルが弾けた頃、不良債権とは何かと親父が説いた。それ以前より強制的に土地の値段を下げるようなことはやってはならんとよく口にしてはいた。資本主義の資本は地球に依拠する。地下資源であり、レアアースであり、空気であり水であり土であり、表面の人が住まう土地そのものであり。元々は誰のものでもない。その土地を担保に金を借りて事業をしているにも関わらず、それが半値になったとしたら、担保価値も下がるわけで、結果資金繰りが滞る。つーか会社資産がそのものも結構目減りする。

サラリーマンもマイホーム!なスローガンで、そら皆プライベートな住まいを持つのはいいことやけど(とはいえ、四角四面の人工の箱は肉体的にも精神的にも健康を損なうと思う説は他でも書いた)、そのサラリーマンの給料は会社から支払われる。その支払う元がグラついたらマイホームもクソもない。

消費者目線というけど、消費だけで生きてられるような結構なご身分はそういないと思う。つーか無理。生きてるということは、息するだけでエネルギーが掛かる。食うてるわけで。それを得るにはなにがしかの交換するもの、もしくはその手段であるお金を作るか手に入れる必要がある。

消費者でありつつ、生産者か販売者かでもあるということ。買い手であると同時に売り手でもある。

にも関わらすお客様は神様ともてはやし、安い方がいいと突き進んできた結果、売り手である自分の首を絞めていた、となってるのがデフレってやつだと思う。

安くしなければ売れないものは、所詮安くした値段の価値でしかないってことで。価値とはなにか。

お金を作るとも敢えて書いたけど、アメリカは日々ガンガンドルを刷っている。1973年ニクソンが金本位をやめた。オイルショック。ワシの生まれた年。その結果、お金の価値を担保するものは金ではなくて、信用になった。銀行にお金持って行ってもくれるのは、金ではなく、数字の並んだ通帳というもの。それをみんなが信じているから成り立っているだけのこと、らしい。

今のお金の根拠として、311以降を思えば、エネルギーでしかないと思う。裏付けというかお金=エネルギー。エネルギーは無尽蔵にあるという前提でガンガンお金を刷っているということ。でもその実際のエネルギー源の石油もウランも諸々、いずれは枯渇する。その前に新たな技術で無尽蔵のエネルギーを生み出すシステムを生み出せばいい→原発→プルサーマル。メタンハイドレードが埋まってるらしい、とかね。

いやいや、お金にしろエネルギーにしろ、使わなくてもいいものを使ってるから足りなくなるわけで。それ、時間にも同じ。

佐治先生が仰ってた。生きるとは時間をデザインすることかもしれません。生きるとはエネルギー(お金)の使い方をデザインする、とも言い換えられる。

気難しいと思われている人に限って気楽にいけばうまくいく。気難しいと思ってしまった時点で気楽にいくしかないしね。きっと難しく感じることって、難解である、ややこしい、難易度が高いわけで、でもそれは難しくあろうとしてるわけではないと思う。易いことって、往々にしてズレてるから、そこでいう基準を根拠にいくら説明されても、前提が違う、としか答えようがない。それをキツいと言われてもなんのこっちゃ、ということだろうと。気楽にあちゃーって思わせてくれる人って有り難いと思う。難い。

地上からの景色、見たとして東京タワーレベルの人と、富士山の5合目からの景色を見てる人と、頂上から見た人とでは、見た景色の説明に対しての難易度は違う。頂上の人の景色に共感できるのは同じくそこに立った人でしかあり得ない。想像することはできたとしても、体感がない以上、無理。一方、地上からの目線は生きてりゃみんな当然わかる。そこでのフツーとジョーシキが跋扈する。

5合目って微妙。ここでいいかな、でもまだ上もあるしな、みたいな。ええからゴチャゴチャ言わずに上目指せと。いずれ行かないといけないわけで。

1年500万で生活する人と1日500億回す人の見てる世界は絶対に違う。麻生さんがホテルで飲み食いしてるのとワシが夜中にうどんすすってるのもエネルギー補給という点では同じ。使ってるエネルギーも半端ない分、補給もさぞかし半端なくあるべきで。庶民感覚の首相って。そらスケール小さ過ぎる。スケールが大きいことがいいというわけではないけど、せめて持ってるスケールは最大限に使ってもいいのでは?とも思う。

しなくてもいいことはやめて、すべきことをする。

易い話だと思う。

Sol