At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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1の反対

  • DATE : 2012.04.21
  • Cat : Sol

5-6年前、良恵から、「1の反対は0ではなく-1」とみうらじゅんが言うてんねんけど、アンタわかる?と問われ、正直、当時即座に浮かんだのは??で、しばらくして、なるほど!となった。

それから人に会うとたまに、1の反対ってなんやと思う?と聞く。自己統計やけど、9割の人は0という。1割は、2,∞,-1。

0,1はデジタルの世界で、あるかないかの世界。

現実世界は、あるかないか、だけではなく、見えないだけであるという-1もあるということ。

自分の数学的論理の欠如は、A.スマナサーラ氏と養老孟司氏によって気付かされ、て以来、理系方面を攻めた。

なぜそれがそうなるのか。

事細かに書くことで共有が生まれるし、風吹けば桶屋的に書くことで深い理解者が生まれる。それは最近の自己統計。

前出のレーモン・クノーは、イデー時代大熊趣味で選ばれた1冊。朝日出版の装丁は趣味が良いのが多いと思う。ある1つの情景を99文体で綴る。原作は仏語、訳も大した仕事。文系の行き着く先は論理です、とは佐治先生の言葉。ちなみに理系の行き着く先は情緒と。佐治先生のお喋りは情緒的なことばかり。63歳でお能始めて国立能楽堂に立ち、65歳でバレエ始めてカーネギーホールに立ち。パイロットのライセンスは氷河の上でオーロラを見たいがため。考えられない世界を生きてる。その可能性もあるのだと絶景を見せてくれる人。

小室直樹氏には本当にお世話になった。『数学を使わない数学の講義』。数学的論理の定義をピシャリ。1の逆を0ではなくて、-1だとある事象をもって解明していく。要は陰陽の話。善悪然り。その逆がどこに位置するのかを確かめてみること。往々にして逆ではないものを逆だと思ってたりするもの。0,1然り。

そんな折に出会ったのが『偶然とは何か』。あんまり覚えてないけど、北欧神話と偶然と現代数学理論がイコール、みたいな話やったと思う。数学嫌いが数字から入ったから嫌いになっただけだということに気付けるかも。北欧神話がそうであるなら、古事記にもそんな要素があると考えても不思議ではない。

江戸時代の日本の数学のレベルは相当高かったらしい。医術にしても。オランダの影響はあったにしても、和算は自前。エレキテルとか。黒船来襲の際、度胆を抜かれながらも好奇心旺盛にあの技術を解析しようとした民族は当時見当たらず、だから緩衝地帯としてのタイ以外の国々は植民地化された、らしい。

佐治先生が、数学的素養が高かったから情緒的だったのかもしれませんね、と仰ってたような気がする。数学がなぜ情緒なのかといえば、羊羹があったとして、2cmで切ったとします、包丁の右が2cmなんですか?左が2cmなんですか?と。両方が2cmなんてことはあり得ませんねと。数字では切り分けられると思っても、現実的には切り分けることはできません。昨日と今日はいつ変わるのですか?いつから春になるのですか?と。和菓子にしろ和食にしろ、それがわかっていたからそ、冬の名残を取り入れて、夏の走りを取り入れながら穏やかな移ろいを表現したんだと思います、と。

こないだ尾張屋に芋かけそば大盛り!と思ってメニューも見ずにオーダーした後に見回してたら『若筍天そば』。それが食いたかった。夏は鱧天、冬は温鴨せいろ。その時期だけのものとド定番と。

代数とか幾何とか全くわからんけど、数学的論理なる論理は文系の行き着く先らしいので、自ずから越えるべき壁と諦めるしかない。情緒はその先にしかわからんってことなんじゃないかと。数学を解さないことには論理を成さない以上、今情緒と思っているものはお節介とか大きなお世話だったりしてるだけなのかもしれん。

本も、絶景を見せてくれるものがいい。わかるわかる、も楽しいけど、なにそれ?どいうこと?の連発も不安だからと排除するのではなく、受けれることでいずれ楽しさに変わる。

後藤繁雄氏の『独特老人』は絶景しかない。絶景なる表現は彼のものによる。大野一雄とかなに言うてるのかわからん。でもダンスはなんともいえずいい。かれこれ何人かのプロのミュージシャンと見たところ、皆口を揃えて、どこまでのリズム感なのか、その細かさにヤラれると。淀川長治最高。

スピリチュアル関係も大概あったけど、知らん間にどっかいった。ジェームズ・アレンとかいい。でもあれこそ論理の話で。久司先生とか、別に肉食うのをやめる気はありません!という人であっても一度読んでみる価値はあると思う。人体と宇宙の繋がりをいとも簡単に解き明かしてはる。葉室頼昭氏とどこか似てる。神道に通ずるというかそのものなんちゃうかと。A.スマナサーラ氏はことごとく口が悪くて面白い。論理的。科学的。『仏教は心の科学』。リズ・ブルボー『からだの声を聞きなさい』これがまたキツい。グサっとくる。共通するのは気付きということ。問題はその後の過ごし方。そこ変えずしてなにが変わるのか、という。だから売れるのやろうけど。

Sol