At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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We are all one.

  • DATE : 2012.04.09
  • Cat : Sol

須藤元気が試合に勝つ度に掲げた言葉。

スピリチュアルなことに足を突っ込むと、よくよく目にする言葉、でもある。

全ては繋がってる、人類皆兄弟。

とはいうものの、概念としてそう捉えようと頑張ってはみるものの、夫婦であっても所詮他人で、アナタとワシの体は厳密に違うしね、とかどっかで思ってたりもするもの。だからこそ、足の引っ張り合いやの、勝ったや負けたやの、嫉妬やの、を日々繰り返しているわけで。

さて。

ビックバンから約150億年、地球誕生から45億年、地球上に生命が誕生して38億年。

最初の単細胞生物が生まれて、そこから進化と世代交代を遂げて現在の自分へと至る。

ということは遡れば、それは人間だけではなく、あらゆる地球上の生物が、元々最初の1つから派生してるってこと。

言うなれば、みんな家族で兄弟姉妹です。

なんのことはない、それは概念ではなく、真実です。

妊娠中の十月十日に胎内で起こる成長過程は、38億年の生物の進化と同じ過程を経るらしい。

その不思議。

人類も魚類や両生類やを経て哺乳類へと至ったわけで、ということは、今人間が有する脳なんかよりも肉体の方が圧倒的に古く、脳が有する意識よりも体が有する無意識の方がより多くの過去における情報を記憶していることになる。

にもかからず、体より脳を優先してしまってる現代。

確かに脳は意識があり、体が無意識である以上、脳を優位と捉えることは致し方ないにしても、だからこそ、無意識を意識する、という意識が必要。

体を意識していけば、自ずから新月と満月での体調の変化、それに伴う精神的変化を味わうわけで、同様に春夏秋冬然り、その月の満ち欠けや季節の移ろいは、月や地球や太陽系や銀河系のそれぞれの自転や公転から生じる以上、この肉体は天体と共にあるということになる。

でもそんな意識、誰が持ってる???って話よね。

体を意識する=少なからず地球を、そして宇宙を意識するということ。

今は脳が優位だからこそ、体=地球の声なき声は無視される。

結局は、自分自身にコミットすればするほど、地球と、更に進めば宇宙とコミットすることとなる。

そのことを、日本の言語や思想や文化の根幹を成す、神道と仏教と修験道(=道教)は説いてるわけで、即ち、宇宙法則や自然の摂理を開闢してるのであって、それらは宗教という概念に収まるものではない。

だからこそ、日本人が日本のことを知る必要があるってこと。

そう言えば、やれ愛国心やの、やれ右翼やのと、すぐにレッテル貼りが始まるけど、そんな狭義のことを言っているのではない。日本という狭い国土がよそに比べて優れてる、ということではなく、たまたまそれが日本に残ってる、というだけで。(先人の、残していこうとした努力は当然のことながらあるはずではあるけど。)

仮に自分がドイツ人であったとしても、それら日本に根付く哲学を知ったんであれば、それを見習いたいと思うと思う。 現にアインシュタインはじめ、それ直感した偉人は少なからずいる。

言語を使った哲学を紐解くにあたって、当然脳を通過させるわけで、では体は意識しないことになるのではないかということになるかもしれんけど、そうではなく、脳の持つ意識にどれだけ惑わされているのかに気付くためのツールであって、そのことで、意識に下にあった体、から逆転させて、体という無意識下に脳を配置させるためのハウツーと思えばいいのかもしれない。

方法論としては2つ。

・脳の持つ意識に騙されず、無意識を主体に持っていけるように、脳の使い方を知ること

・体の変化を通して、宇宙と繋がっていくこと

いずれにせよ、脳が有する意識が邪魔をするという意味では同じ。

共通するのは、意識対象が脳か体かの違いはあるにせよ、いずれも自分自身、内へ向かっていく行為。

往々にして人は他者からの視線や、他者が自分をどのように捉えているのか、を意識してしまうもの。でも他者がどのように、なんてこと、そもそもどうやって知ることができるのか。それらは勝手に自分が抱いた、単なる想像、妄想でしかないはずで。そんな時間があるのなら、自身の、自然の変化と共にある体の変化に対して関心を持つことに時間を増やした方がいい。

自身にコミットすることで、地球とコミットすることになるんであるなら、地球という観点からどうバランスさせるのかという視野で考えることができるようになるはずで、同時に、地球自体とそこにある全てのものは1つということが当たり前になるはずで。

その繋がりをどこかで直感しながらも唯物的に陥ってる現在は、他人は他人、自分は自分、地球にある資源を資本と看做し使い放題となってしまってる。

南アルプスの天然水。土地さえ所有すれば、地下水はいくら汲み上げてもいいらしい。おかげで周囲の山葵農家は壊滅だとか。その損失分の補填も含めた上での価格設定が成されているわけではない。

資本主義って一体なんなんすか?

話は戻って。

日本人が捉えてきた美しさとは、見え掛かりではなく内面からのもの。

結局西洋が日本に感嘆をするのは、そこ。

伊勢神宮の建物なんて20年未満でしかない、にも関わらず世界遺産。それは建築物に付帯する歴史に対する評価ではなく、そこでの脈々と続いてきた営みに対する評価。

伊勢神宮はともかく、その他の多くの営みや文化に対して、当の日本人が知らずに捨て去ろうとしてることに対しては非常に残念に思う。仕方ないけど。

でも、知って欲しいと思うから、そのための企みをいろいろとやっていこうとしてるわけで、こんなよくわからないことも書いてみたりしてるわけで。

和風なるものは嫌いやけど、和=輪なわけで、即ち、全体を指す。それは西洋の直線的対立概念を包括して、補完の関係にしてしまう。

そんな知恵を有する日本をもっと知って、最終的に違和感なく、臆面なく、

「We are all one.」

そう思って生きてたい。

ようやく本格的な春の訪れ、桜も満開。

その桜の灰色の樹皮を煮出して染めると、桜の花と同じピンクになるらしい。

内面から滲み出るものこそ真の美しさだと、桜も教えてくれてるのかもしれません。

Sol