火遊び展、スタート
- DATE : 2012.03.17
- Cat : Sol
いよいよ始まりました、加賀・山代での課外活動。
Rinnちゃんと遠足気分で・・・と思いきや、2時間の寝坊。
設営は、葉渡莉とべんがらやのスタッフの皆さんの手際のいい応対で、スムーズ。

金沢の起き上がり八幡という姫達磨を模したRinnちゃんロウソクでお出迎え。

今回の石井クンのターコイズと白、うちの時よりも濃いというか厚いというか、ペイントのようで、非常にいいかと。個人的にターコイズの蕎麦猪口頂きました。

都合良く、九谷らしき瓶があったので、沈めてみました。
九谷の地で陶展って。道場破り的な。撃沈です。

Rinn to Hitsujiのオリジナルマッチがお目見え。
右下3つ並んでるのが、石井クンが焼いた器にRinnちゃんの和ロウソクという、今回のために作られたもの。器は2種、香りは4種。

前出のダルマ。
洋梨ではないです。

葉渡莉さん館内の一部をキャンドルの灯りだけで。
散々、キャンドル・ジュン?と言われましたが、Rinnちゃんです。ま、この際、ジュンでもいいかもしれないです。
ほの暗い行灯で眺める屏風。
そんな風情も、原子力発電の動かせば発電しっぱなし状態を有効利用?しようと夜間のライトアップやなんやの、その結果の光害。植物は寝不足、でどこへやら。
「毎日がキャンドルナイトでいいんじゃない」
Rinnちゃんのカードに書いてある言葉。
明るさと豊かさには、なんの関係もない。
暗さも愛でることができるからこそ、豊かなんであって。
バイリンガルの友人に、ラグジュアリーってどう訳す?と聞いたら、余裕と。
必要でもないものを必要だと思い込んでる、ってことはよくあること。
どーでもいいことに煩わされてる時間は正に暇だからそうしてるわけで、その時間を余裕に回せばいいだけで。
時計時間を単に約束ごとだと思い、自分のリズムで動いてる人は、目の前に必要なものが揃っていく状態が当たり前になってる。
求めるのは足りてないと信じているからであって、全体から眺めれば全て揃ってる。

山代温泉総湯は、明治時代のものの復元。
諸々ディテールまでよく目が届いてて、木の香りもいい。
24(Sat),25(Sun)は、この前にRinnちゃんのキャンドル灯して、大石将紀ライブ。石井ちゃんの司会?

片山津・柴山潟湖畔。
この秋にここにステージ組んで野外フェス!?

湖畔脇には、磯崎新設計の、中谷宇吉郎・雪の科学館も。突端のカフェからの眺めは素晴らしいはず。
また、片山津温泉の総湯を現在再建中で、設計は谷口吉生で4.21オープン予定とか。
現在、金沢21世紀美術館で、『オリーブのクリエイティビティ』というのがやってるみたいです。来週、行こうかなと。金沢はまだ行ってないけど、片山津は現代建築、山代は明治期の現存や復元。金沢→片山津→山代の旅っていいかもね。
友人を介して山代に縁をもらっての、今回。
やっぱりものを並べてて楽しかった。
隅から隅まで見尽くしながら、なにも考えないこと。
その土地土地の固有のものが、すごく面白い、のに、どんどん失われていってる。
でもそれを守り残そうとし出した人たちが、勢いをつけて増えてきた感。
最近、神道や「やまとことば」についての本と量子力学の本を読んでるのやけど、アプローチが違うだけで同じことが書いてある。神道のがスケール大きいけど。
人間の都合で動かしてきた世界を、そろそろもう一つ外側の視点で捉えた別のシステムへとシフトすべき時にきているのかもしれません。
神道とは、所作。
言葉ではなく、空間で記憶を伝える。
目・鼻・歯とは、芽・花・葉でもあるらしい。
地球は単なる物体なのか、心を宿す生命体なのか。
前者がまともで、後者はちょっとオカシイ人、なのかもね、世間では。
現状、余裕がないと仰る方は、今目の前で起こってる現実は現実で対処しつつ、同時に、それでも星々はある秩序と奇跡の上に運行してるという事実も踏まえて考えてみては如何でしょ?
時には、突拍子もないことを空想してみたり、ハメを外してみたりするのも大事。
そんな思いで『火遊び』してみました。
久しぶりにメニエールっぽい。
なんだか目が回る。
季節の変わり目って、身体の変化って著しいのかも、木々花々、動物も然り。
山代で旬のものをいっぱい頂いたからかもしれん。
Sol