At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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嫌よ嫌よも好きのうち

  • DATE : 2011.12.15
  • Cat : Sol

昨夜クズ(同い年の友人、目と鼻の先に住んでる)に、コンピューターでのプロミグラミングとはなにをやっているのかという説明を受けた。

一言でいえば、オブジェクト(物)のプロパティ(属性・特性)を見極めて、オブジェクトに関係なくプロパティ同士を再構築させることで、新たなオブジェクトを創ること。
具体的にいえば、目というオブジェクトのプロパティは、光を認識する機能、色を認識する機能等々存在するわけやけど、その目というオブジェクトに属する、光を認識する機能を、耳というオブジェクトのプロパティとして添付させることで、耳で光を認識させることができるようになるということ。即ち、人間の耳では聞くことしかできないけど、コンピューターの世界では、理論上、見える耳の構築も可能ということ。
要するに、物事の最小単位を見極めて、その上で必要な要素を再構築させる作業。
例えば、刀を斜め下に振り下ろすという運動は、『下に降ろす』と『横にひねる』という運動が組合わさったもの。それを初めから斜めを意識しての斜めと、前出の2つの運動を組み合わせた斜めとでは、全く力の強さが違うものになる、というようなこと。(もちろん、2つの運動を同時にしながらも斜めだけの運動と同じ早さで行えるためには、技術と経験が必要ではあるが。)
それって仏教が説く悟りの第二段階のこと。(ちなみに第一段階は、諸行無常を解すること。)詳しくはA.スマナサーラの著書を読めば理解できるはず。スマナサーラ氏はスリランカ出身で、現在東京で『テーラワーダ仏教(初期仏教・釈迦の教えが口伝で残る唯一の仏教)』を説いてはる。
物理学や量子力学の世界では、物質の最小単位が素粒子であることを突止める段にまで至った。今度はそれを構築する技術と、創り上げたいヴィジョン(新たなシステムイメージ)を明確に持つことが必要になるってことやろうと思う。
まとめると、プログラミングでは物の属性の最小単位、運動では筋肉の動きの最小単位、科学では物の構成要素の最小単位、を見極め、再構築することを目指し、仏教では心の属性の最小単位を見極めて再構築することの必要を説いてるということ。
では、心というオブジェクトに付帯するプロパティとはなにか。
ここからは、自分の感じたことでしかないので、想像の世界でしかないが、仮に心というものが存在するとした上で、すぐ下のレイヤーに付帯するプロパティは、『意識』と『無意識』ではないかと思う。
『意識』の下のプロパティは、『考える』『共通を見出す』『分析する』『忘却する』等々、『脳』に属する。意識=脳でも過言ではない。
『無意識』の下にあるプロパティは、『感じる』『差異を観る』『統合する』『記憶する』等々、『体』に属する。同様に無意識=体。
心とは、頭と体のプロパティではなく、その1つ上のレイヤーのオブジェクト。
ここで全ての対立概念は、補完関係でしかないということに気付く。
更にその下のレイヤー、『考える』に付帯するプロパティは、『過去について』『今について』『未来について』『内について』『外について』等々。
『感じる』に付帯するプロパティは、『見る』『聞く』『嗅ぐ』『味わう』『触れる』等々。
もう1つその下、『見る』に付帯するプロパティは、前出の通り、『光を認識する』『色を認識する』等々。
仏教と科学の行き着く先は同じ。というより仏教のが先をいってた。
もう少し言うと、『傷付く』と『嫌』は当然のことながら、別のプロパティ。にもかかわらず、『傷付きたくない』と、一括りにしてしまっているもの。だったらプロパティに戻って、『傷付く』と『嫌』を分けて、『嫌』を『平気』と置き換えて、再構築し直せばいいんではないの?って話ってわけよね。それができれば、その後2度と傷付くという経験はしなくなる。だって、傷付いてもいいわって思ってる以上、傷付いたとしても気になってないってことやから。
往々にして、「なぜ傷付きたくないのか」ということを考えるもの。でもそれで導き出される結論は、傷付くことが嫌な理由でしかない。問題は、『傷付く』ことを『嫌』だと決めつけ、思い込んでしまってることにある。
肉体はそんなにすぐに変わるわけではない、即ち、頭がわかったことでの体の変化は、それぞれのリズムが違う以上、タイムラグが生まれるということ。だから、当面は『傷付く』ことを『平気』だと頭で思っても、体は『嫌』だという反応を起こしてしまう。その際にすべきことは、『傷付いている』という状態を(『嫌』だという感情をとりあえず横にやって)、存分に感じ尽くすこと。結局は今まで持っていた癖を別の癖に変える作業。それを待つと呼んでるだけで。
それをコンピューターでのプログラミング同様、心をプログラミングすればいいだけのこと。
そう思えば、実際に耳に色を認識するという機能を付加させるということも可能なのかもしれない。こっちが勝手に無理だと決めつけているだけで、その限定を外せば、不可能を可能にできる可能性もあるってことよね。