赤信号みんなで渡れば怖くない
- DATE : 2011.09.30
- Cat : Sol
昨日、とくダネ!で小倉氏が、給食vs弁当持参問題に関して、
「おまえだけお弁当って、一人だけ助かりたいのかっていじめになってくるよね」
って発言したらしい。
放射能が危険なのか否か。
かつての事故後の悲惨な奇形児の画像は捏造?
自分の子供を守りたいと思うのは当たり前のことじゃないの?と思うけど。それが何年後かになってもなんの発症もなく、取り越し苦労やったとしても、その方が後悔は少ない気がする。
給食を食べなければならない、弁当持参は不可、ってなんで?
誰かに迷惑を掛ける?
みんなと同じ行動を取りなさいってことでしかないんではないの?
もちろん地場の農業との兼ね合いや、それを使わなければ、風評被害を煽るとか数値の見直しが発生するとかいろいろあるんでしょうけど。
その辺のややこしいことも多々ある上で、でも小倉氏の発言は、もっと浅いし単純。別に原発も放射能もここでは関係ない。
「韓流フジテレビが嫌なら見なけりゃいい」
んであれば、
「給食食いたくなければ、食わなきゃいい」
でいいんじゃねーの?
根底に「赤信号みんなで渡れば怖くない」があって、その強要でしかないんじゃないの?
放射能害なしという立場かどうか知らんけど、単に横並びの押しつけ。そのくせ社会に出れば、個性とオリジナリティを求めてくる。
自分の意見、考えを述べても、みんなはそうしてるのだから、あなたも我慢しなさい、の繰り返しの中、自分の意見を自分に確認するよりも先に、周りの反応や意見を確認して、自分はどうしたいのかわからなくなる。=自信がないってことでしょ。
その結果、自分の意見や考えがある人に対して、あの人はセンスがいいから、とか、才能があるから、の一言で終わらせ、どうせ自分は大したことがない、とか。そんなメンタリティは、戦後植え付けられたもののような気がする。
愛国心という言葉に、戦争礼賛的なイメージがくっついてて、どうもその言葉を使うことが憚られる。でも自国を好きで誇りを持つことは、なんらやましいことでも恥ずかしいことでもないと思う。ということは、愛国心という言葉に対する違和感ではなくて、なぜ自国が好きになれなくて、誇れないのか、ということを考え直してみた方がいいのかも。
ま、今の政府や東電やを見て、好きになれという方が難しいけど、それでも目の覚めるような文化がこの国にはある。オリジナリティに溢れ、独特の美意識を有し、その背景には思想がある。もう一度、ルーツとなるその思想文化を学び直してみることで、自分を信じることができるようになる気がする。
今、正論が通じず、付和雷同を強要され、怒りの矛先をどこに向ければいいのかがわからず、苦々しい日々を誤摩化しながら過ごしています、って人、多い気がする。
でも、通じようが通じまいが、正論と思うのであれば、それを貫けばいいし、同調圧力なんて無視できる強さを持てばいい。
このタイミングで増税って。復興のために尽力することは厭わないけど、増税の前にすることあるよねと思う。払わないといけないのですか・・・?と言いたくなる。その上、安全かどうかよくわからない代物を子供に食わせようとするってもう訳がわからない。せめてその辺は個人の選択でいいんじゃないの?って思う。
こちらは既にテレビ見てませんし。
ならテレビに出てはる人の発言に噛み付く必要もないね。