自分探しの旅 vol.8
- DATE : 2011.08.14
- Cat : Travel
寝台列車でバルセロナへ。到着後、ピカソ美術館。6歳だったか8歳だったかのデッサン。霊能者とか、超能力者とかって目に見えない世界を扱うからどこか信憑性に欠けるという心理的作用もあったりするけど、目に見える形での特異性って、努力でどうのこうのできることではないと痛感。目と指が繋がってるのか、目が多層なのか。写真やってる友人の光や色の捉え方はやっぱり独特で、歌ってる友人の耳は音で言葉を選んだりする。
オリンピックの時に名前を覚えた街。太陽と風と。こういう土地で生まれ育ったら、それはそれでそういう気質を纏うことになるはずで、だとしたら国際結婚が難しいのは当たり前の話で。
アパートの窓に少したわんだロープと洗濯物。全く興味なかった、ガウディ。存在感は圧倒的で、奇抜さとはまた違ったなにか。
夜行でセビリア、到着後、バスでアルコス・デ・ラ・フロンテーラへ。荒れた砂地の、切り立った丘の上に、そこだけ真っ白な町。石畳、漆喰だったり塗装だったりするとにかく白い壁、変な位置にある小窓、外周だけは車の走行可、内部は徒歩のみ。中世から残ってる町だからだけではなく、内部に車不在も、時間の流れの緩やかさの一因だと思う。ジェイコブスの都市思想じゃないけど、現代の町のあり方はなんかチグハグ。
ブラブラしてると、にこやかなスペイン人男子が歩み寄ってくる。案内してあげる、と。この手の輩は絶対に後でお金請求してくる。散々経験済み。ピカデリー・サーカスでピエロのようなオッサンににこやかにカメラを向けられ、勝手に撮っといての請求、とか、ジャンキーに写真撮らされて、送ってくれたらお金送るから貸して、とか、もうあの手この手。もちろん払う訳もなく。でも面白いので乗ってみる。
この男、あまり慣れてないのか、揉み手で「アッシにお任せくだせえ」とか言いそうなキャラ。いずれにせよ無理。ここで写真を撮れ、あそこは見晴らしがいい、と連れ回してくれる先は興味なく、壁や窓を撮ってるとなにを撮ってるのか問われ、全然無理。
そろそろ宿に帰ろうかという頃、おもむろにガイド料を・・・おくんなまし、みたいな態度、はぁ?と言うと、ワレっコラァとやっぱりチンピラ。お金宿やし、と言うと、そのライターを出せと。いややこれ、アベチャンにもらったヤツやもん。と言い終わるか否かの時に、無理矢理奪い取られた、時、警官登場。途中すれ違った子供が呼びに行ってくれたらしい。ライターはその子にあげといた。
夜、古城というか、なんかを改装した、断崖絶壁に面したバスルーム~の宿での食事、あれなんやったんやろうか。アンモニア臭しかしない、見た目デミグラス風のビーフシチュ調の茶色い小壷に入った物体。頑張ったけど、無理。なにあれ。スペイン文化を否定するまではしないけど、あれはない。単にエイの発酵させたものを入れてみました、とかなのかなぁ。前歯で噛んだ瞬間に自分の動物的勘の衰えを知った。痺れるもんね、アンモニア強いと。
そんな散々だった土地で、全く別の経験をした友人1名。初めて1人でヨーロッパ行くねんけど、どこに行けばいいか、なにが必要か、と相談され、アンダルシアとパリを推しての、行ったアルコス・デ・ラ・フロンテーラで。パリには友人が居たので、そこを紹介したのやけど、言葉も通じん、日本人のいない、長距離バスしか移動手段のない土地、大丈夫なのか?と少し心配したけど、あしながのサルバドールに花を、という経験をさせてもらったらしい。シエスタ白い午後、アルコスの丘へ沈む夕陽。暗唱できる。
セビリアで1泊して、マドリッド。プラドとソフィア王妃狙い。
ヒエロニムス・ボスの快楽の園。宮本輝の花の降る午後だったっけ?この絵の前に佇み、何時間にも渡って鑑賞するシーンがあって、また愉楽の園というタイを舞台にした小説のタイトルもこの絵からきてるとかで、あーでもないこーでもないと心の中でつぶやきながら見た。衝撃は、フランシスコ・デ・ゴヤの黒の時代。めっちゃ好き。
そしてこんなにもデカかったのね、ゲルニカ。
また寝台でパリへ、と思うも、ストで動きません、と。そんな急に言われても。明日のお昼に大阪から2人来るんですけど。今みたいに携帯ないし、12:00にバスチーユオペラ前に行くしかないんですけど。困った。飛行機飛んでない。仕方なく朝イチのを撮り、空港の近くの寂しいモーテルっぽいところでユーロスポーツなんか見ながらうたた寝して、大幅遅刻確定でパリへ。