自分探しの旅 vol.1
- DATE : 2011.07.31
- Cat : Travel
このあいだのKBSラジオで旅の話になり、なんで行ったのかの問いに、とりあえず自分探しちゃいますか?と自分のことながらテキトーに答えたのやけど、なんで行ったのか?
話せば長くなるので割愛するが、というか、こんなところで話せないことなので、それはまた折りをみて、ということにして、とにかく1995年6月、伊丹→成田→サンフランシスコ→スポケーンへと3ヶ月の予定で旅立った。
スポケーン?ワシントン州(カナダとの国境の州。シアトルが有名)の第2の都市。そこから車で2時間ほどのプルマンという町が、兵庫県加西市、出身地と姉妹都市とのことで、高校2年の時1ヶ月ホームステイしたのやけど、その世話役みたいなジャンというオバサンがその頃はスポケーンに住んでいて、先ずはそこに遊びに行くために。
当時21歳やったのやけど、今の記憶で書くので、生意気な感じがあったとしても、ご愛嬌ということで。
ジャンって、セサミストリートのビックバードのような。上半身が大きくて、足はシュッとしてて、大きな目でものを言うような。
一緒にスーパーに行った時のこと。レジ終わりに、「紙袋とビニール袋、どっちがいい?」と聞かれたらしいのやけど、「Yes」と答えたため、ジャンに「わからなかったらYesと言ちゃダメ」と叱られ、その後、「オレンジジュースとお水、どっちがいい?」の問いに、「Yes」と答えて、「また!」とまた叱られ。そんな程度の英語力。
でも、そもそもスーパーで紙かビニールか、なんて日本では聞かれないしね。60歳過ぎた友人が久々にコンビニで1Lの紙パックの飲料を買った際に、「ストローお付けしますか?」と聞かれたそうなんやけど、なにを聞かれてんのか全くわからず、何回も聞き直したと。1Lの紙パックにストローなんて底まで届かないし、そんな質問意味がないと想定外やっただけに、聞き取れなかったと。歳取ると頭が固くなると言ってたのやけど、紙ビミール論争においては、それと同じだと思いたい。という説明もジャンにはままならないわけで、とにかく英語に慣れるしかないと痛感した旅初旬。
高校卒業後、予備校で大阪に出て以来。火がついたように音楽漁り、挙げ句レコード収集にハマることになるのやけど、当時、サバービアスイートや少し遅れてフリーソウルや渋谷系なんて言葉が登場するような時代背景、ゴダールやフェリーニのサントラ、ラロ・シフリンやミッシェル・ルグランなんかがすごくクオリティの高い音とされてて、巷では、カヒミ・カリィやラブ・タンバリンズなんかがイケてて。もちろんそれも一部の間での話かもしれんけど。まぁそんなCDを集めてたのやけど、深まれば深まるほど、CD化されてない音源というもの、アナログでしかないという音源が多々あることに気付き、仕方なくレコードで買うという行為に。当初は四天王寺の朝市で1,000円で買った、スピーカー付きのれこーどぷれーやーみたいな代物で聞いてた。
「NO MUSIC, NO LIFE.」
そんな言葉は当時まだなかったけど、まさにそんな気分で日々過ごしてた。誰が好きか、今誰のなにを狙っているのか。その答え如何で自分が評価されるという錯覚を抱いて。
同時に、写真やファッションや映画にも当然興味あって、それらはある種の通過儀礼みたいなもんかもしれない。服飾系の専門学生が一度はダリにハマる的な。今はどうなんやろ?90年代はなぜかダリ!って言うてる子、多かったな。ゴルチェとか好きで。
だから日々、ダリについて談じたり、キューブリックの時計仕掛けのオレンジのファッション性に歓喜したり、レコ屋回ってインドカフェでチャイしばいたりしながらバイトして、たまってくレコード横目にターンテーブル買って、曲の繋ぎの練習なんかしてみたりして。所有したいから、というか、CDでは存在してないから仕方なく買い始めたレコードが集まっていくと、DJなるものがやりたくなっていくのです。そして、イベントやって自分が選んで掛けた曲でお客さんや友人が踊り狂ってる姿を上目遣いでチラ見してニヤリ。それが実現すれば、その音が出来上がった国なり地域なりの空気を実際に味わってみたくなっていって。
そんな中、また折を見て書くことにする親とゴタゴタ、地震なんかがあって、そんなどさくさに大学辞めて、どうしてもパリの空気が吸いたくて、でもそこは欲張って、ホームステイ先もN.Yも行ってみたいと、とりあえずは関西⇄N.Yのユナイテッドの1年オープンを買ってアメリカはワシントン州冒頭へ。
ジャンは都合良く、旅行代理店で働いてたのか、経営してたのか、とにかくオフィスに連れてってくれて、その場でN.Y⇄ロンドンのオープンチケットとピカデリーサーカスでの3泊を取ってくれた。
とにかくパリに行きたくて行きたくて、フィガロのパリ特集のスクラップとトーマスクックの日本語版は持って出たけど、さしてその他興味なく、でもついでなのでイギリスも、と失礼な話やけど、なのでロンドンなんて全く調べてもなく、地名も知らず、でジャンには呆れられたけど、じゃ中心のピカデリーサーカスなら間違いないから、ヒースローから地下鉄で1本、駅界隈にそごうがあるとの情報までもらって、なんかいよいよ抜き差しならないことになってきた感。
きっと5日間ほどジャンちにお邪魔になったはずやけど、後のことはほぼ記憶にない・・・。ので、余談やけど、ホームステイの時の話。ジャンはホームステイ全体のコーディネイター的な存在で、朝の英語のクラスの先生であり、全員の母的存在がバーバラ。ジャンは陽気でオキドキ~を連発するのやけど、バーバラはどこにいってもオカンはオカン、というノリで、いちいち細かいねんっ的な人。そのバーバラの自宅の庭にはプールがあって、何度か遊びに行かせてもらった。その際に出された食事はもちろん残せるはずもなく、苦手なトマトも平らげなくて?は???が、この時のトマトが美味しくて。グジュグジュの種周りドロドロの水臭いトマトしか知らなかっただけに、このトマトなら食べれる、となって以来、トマトは好物の1つ。トマトが苦手なのではなくって、美味しいトマトを食べたことがなかっただけ切っ掛けで、田舎で音楽情報少ない中で悶々としてるんじゃなくて、自分が満足するものを探そう!と帰国後、田舎をすぐにでも抜け出したくなる症候群に襲われることに。
今でこそ、インターネットは当たり前で、iPhoneなんてものまであったりするから、また感覚が違うかもしれん。国際電話で英語で予約とか、ホンマ取れてる???とよく思ったしな。今ではクリック1つで予約完了!でしょ?
当時は、ビニールハウス、促成栽培。有機やオーガニックなんて言葉、なかったと思うし。野菜嫌いは水太りした野菜しか食べたことがなかったからかも。大人は鍋が好きみたいと後々気付いたし、自身も最近の冬はほぼ鍋なのやけど、幼い時は某ポン酢がすこぶる嫌いで、なので鍋は嫌いと思ってたのやけど、美味しいポン酢を知って以来、鍋アリ!って思うようになったのも確か。
ということで、お次はN.Y。