611!
- DATE : 2011.06.11
- Cat : Sol
人に良いものを目にし、想像を膨らます行為。
人に良いものを香り、心開く行為。
人に良いものに触れ、健やかさを保つ行為。
糠漬けと梅干しと豆腐と若布の味噌汁に米食べて、星を見上げて、風の音を聴いて、太陽の匂いを嗅いで、肯定的な言葉を口にする。別に街中でもできること。
自然に育まれたものに囲まれる時間。
食材にしても、建材にしても、身に着けるものにしても、自然によって育まれたもの、自然にしか創ることのできないものを採り入れてみること。
現在、人工的なもの、いわゆる不自然なものに囲まれた生活をしている人がすごく多い気がする。不自然なものに囲まれることで、自然治癒力も低下する。
そして五感をそれぞれ切り分ける。
なんの話だか、と思う方は以前のコレを。
要は、白隠の公案『隻手の音声』。
いわゆる口で食べる行為は味覚のみ、しかもそれは口が美味しく感じるものでの構成。良薬は口に苦し、は好まれないらしい。また、器やインテリアはお留守になってたりして。人間、目でも耳でも味わうものだと思うのです。
人間は自然の産物であると同時に、意識も有してる。
命を頂くことでしか生きてはいけず、社会を構築するために人工物も必要となる。
そうなると、デザインの役割は、自然との共生=調和させる力なのかもしれない。またアートは、人智による自然の再現=五感を超えて光と色と香りが一体となった世界=音楽、彫刻、絵
画、写真、映画、建築、造園、料理、陶芸ってことかもしれない。
最近、そう思った。
どんなに虱潰しに探してもこの物理次元の物質には差異しかない。機械が作った大量生産の工業製品であっても同じものはない。同じという概念は頭の中にしか存在しない。同じものを見ようとするから排他する。違いを視ることで共通性を見出す。差別の根源はそこにあると思ってる。
日本では紫が最高位を表す色とされた。可視光線や虹では1番外側が紫、可視光線の中で周波数が1番高いのも紫。周波数が高いとは繊細だということ。逆に言えば、繊細であるから高い意識と繋がれる。繊細さとは穏やかで静かであるということ。静謐な心でより繊細に世の中の差異を視る意識。また意識が高いってことは繊細ってことと同時に傷付きやすいってこと。傷付くことも幸せの一部だと、そろそろ覚悟する必要があるのかも。同時に、「傷付く」ことと「嫌がる」ことは、別のものだと気付くこと。「傷付くの嫌っ」って、少し乱暴。傷付くことは事象や感覚で、嫌がることは感情。なら傷付くことを楽しみにまで思う必要はないけど、あ、傷付いてるなと思えればいいのかもしれない。
本日は勝手乍ら、臨時休業とさせて頂きます。
明日、6/12(Sun)は通常営業の予定です。
ご理解の程、お願い致します。
Sol