失ったもの・取り戻すべきもの
- DATE : 2011.05.14
- Cat : Sol
MAROBAYA (http://marobaya.com)さんの風呂敷、手拭、バスタオル、エプロン等、入荷しました。
猿山 (http://guillemets.net/)さんデザインの領収証も並べました。
ビル
先日、気になるといってた4F建てのビル、内見させて頂いてきました。
床の木の質感、地下の秘密基地感、元事務室の卑猥感、めっちゃいい。
前の公園の緑が窓にバッチリ収まって目に鮮やか。
どこにどう転んでいくのか、楽しみです。
源水さん和菓子講座について
http://kyogashi.kyoto-np.co.jp/modules/tinyd0/index.php?id=20
以下転用。
若いころの井上さんには、松の工芸菓子を作るにあたって、東京と京都の技法の違いで、試行錯誤の経験がありました。東京の「松葉」は、生地を針金に巻きつけて作るので細く仕上がり、本物の松葉らしくなります。一方、京都の作り方は、生地を薄くのばしてそれを包丁で切り進めます。そのため細さにも限界があり、東京のものと比べると太めになってしまうのです。
両方の製法方法を知っていた井上さんは、どちらの方法で作るべきか迷いました。そこで、京都で有数の工芸菓子の名人に尋ねてみると、「あんたはどこに住んでんのや?」と返されたそうです。「ハッとしました」と振り返る井上さんは、京都の職人としての自覚を再認識しました。「細い松葉なら誰が作っても松に見える。しかし、太くとも松に見せるためには、職人がその本質をとらえていなければ出来ない」と気づいたそうです。そっくりなものを作ったのでは、単なる造花だ…と。井上さんのお話を聞いて、「本当の職人の技量とは、『どれだけそっくりなものを作れるのか』ではなく、『ものの本質をいかに表現できるか』なのだなぁ」と気づきました。
工芸菓子に用いられる様式やデザインは、ふすま絵や古い絵画に影響を受けているそうです。京都に住んでいると、幼いころから自然と美術品や工芸品が目に触れます。井上さんは、こういう機会に恵まれた「京都の職人」は幸せだ、と言います。ホンモノに出会い、接する。その体験や記憶が自分の中に堆積して、京菓子を生み出す力に高まっているのでしょう。和菓子に用いられる様式やデザインは、ふすま絵や古い絵画に影響を受けているそうです。京都に住んでいるの職人」らしさを感じました。
渋い。
今度、和菓子講座やって頂きたいなと思っています。
なんせ京菓子マイスターです。
お話しもお上手で面白い。
また企画してみます。
地蔵盆の後、歌いに行きましょうとお誘い頂いた。無法松の一生は譲りません、と申し上げておきました。
最後にこれ。
お時間なる時に是非。
『逝きし世の面影』(http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-751.html)
幕末の日本が外国人の目にどう映ったのか。
自分達はなにを失い、なにを取り戻すべきなのか。
美しいってなにか、ホンモノってなにか。
以下、ルイス・バラガンの言葉。
「建築は内側から考えるべきです」
つまり建物の外観は、考え抜かれた
「内側」の結果にすぎない。
インターナショナルスタイルの建築は、
たとえばガラスのカーテンウォールによって
住宅やオフィスから
安らぎと光の手ざわりを奪いました。
フィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」で
3組の夫婦と食事をともにしたことがあります。
外に広がる草原の景色はすばらしいものでしたが、
ガラスに囲まれた部屋の居心地は、
あまりよくありませんでした。
同席した婦人たちに感想を訊くと、
口をそろえて、
落ち着けたのは煉瓦の壁で囲われた
バスルームだけ、といいました。
静けさこそが、苦悩や恐怖を癒す薬です。
豪華であろうと質素であろうと、
静謐な家をつくることが、
建築家の義務なのです。
Sol