新しいのか古いのか
- DATE : 2011.05.10
- Cat : Sol
閉店後、来客。誰?と思ったら、親父の同級生。偶然にもSolの近くで刀屋さんをされてる方。ぶっちゃけお客さんはやくざさんですか?と聞くと、そんなんおらん、普通の人や、と。刀剣が美術として扱われてることは知ってはいるものの、今現在は全くといっていい程興味なし。高いものだと億はするらしい。わけわからん、と言うと、ここの店と一緒やがなと言われ、ケチョーン。そらそうやわ。
刀だけを扱っての商い、さすが刀に付帯する歴史から発したのやろうけど、それだけには留まらず広域な知識を有してはった。そんな人の話は飽きない。商いと飽きない、この一致は偶然ではない。祖父はよく、商いは飽いたらいかん、商いは飽きないやと。商売は牛のヨダレやとも言っていた。心しないと。
最近、土方歳三の刀を手に入れたと嬉しそうだったので、なんで本人のやとわかるん?と聞くと、名前が書いてあるがな、と。ま、本物ということで。でも今度どっかの展示に貸し出すとか言うてはった。名誉のため。
で、話は幕末、勝海舟。その父は按摩(当時の用語で蔑意なし)だったとか。按摩=盲目であるから、マッサージを行い、その売上を高利貸しにしてよいという幕府、踏み倒された場合は奉行所が回収、自立促しバラマキ福祉はなかったと。
果たして江戸時代って後れてたのか???
ちなみにその利益でご家人株を購入、30石(1日3合*365日が1石)の領地、ただし四公六民なので、12石の米が収入で5人家族なら残った7石を売って服飾その他を購入するという仕組み。
金で買った身分であるが故に、あんな大胆なことができたのではないかと。榊原や本多では到底無理と。
刀の話。
茶道具というても安土桃山以降450年やと。刀は平安からやと。ふむふむ。
くれぐれもハマらないように、と釘をさされつつ、螺鈿の鞘の美しさ、蒔絵の鞘の素晴らしさの話にハマりつつ。
戦国時代でも戦の際にいい刀は持っていかなかったらしい。すぐ刃こぼれして、修復不可やからだそう。江戸に入って刀は身分証みたいなもので、一生一度も使わずして終わる方が普通やったらしい。暴れん坊将軍なんて嘘もいいとこで、あんなもん毎週億単位の金を捨てることになると嘆いてはった。喧嘩すれば負けた方は当然命なし、勝った方も仇討ちされるか、お家断絶か。だからこそ争わず、謙譲の精神なのかもしれない。
近代化ってなんなんでしょう・・・?
危機感の共有って本当に難しい。
ある種の動物的勘の冴えというか、人間の五感の退化というか、そこにも個性があるしね。
それを感性とかセンスとか感覚的とか感受性とか繊細とかの言葉で計るんやろうけど。
繊細であればあるほど、人の思惑の奥底にある恐れに触れてしまって、その悲しみに心痛めることが増える。
それを抱えて、なお光を見出す工夫。
昼間に夢を見ようと思う。
感謝に包まれた瞬間を、間にし、永遠にする努力。
今を頑張るのではなく、今に集中する意識。
中沢乳業のクロテッドクリーム、美味しい。ということでスコーン始めました。
杏仁豆腐、復活します。
お干菓子、5月らしく菖蒲に変わりました。≠勝負、=尚武。
Sol