まさに今の今
- DATE : 2011.04.29
- Cat : Sol
読んで頂きたい本。
Solの2Fに並べてる本の1冊に『モモ』(ミヒャエル・エンデ)があります。
よく反応されます。
その横に並んでる『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)と共に。
最近改めて『モモ』って読まれました?
未読、内容忘れたって方、今一度読んでみて下さい。
時間とお金の変な関係性についての言及。
その後エンデは、『エンデの遺言』という本の中で、『モモ』について解説をしています。同時に、利子と減価について、また政府紙幣、地域通貨について、持論を展開していきます。
今まさに目の前で起こってる世界がエンデには見えていて、それがまさに『モモ』の中に描かれています。
TVが嘘とは言わないけど、実際役に立ったこともいっぱいあったし、不快な思いをしてしまうこともあるし、でもその時間、本を読むこともできるし、散歩もできるし、空を見上げたり、川面を眺めてみたり、深夜の木立に畏怖したり、古典映画を観たり、歴史を学び直したり、もできる。
同じ動画でもYouTubeとかって、TVと全然違う情報に触れれたりもするわけで、TVチャンネルだけではなくって、宇宙には限りなくチャンネルがあって、自分でどれでも選べるはずなのに、なんだか民放ばっかに焦点合わせてアホになる。
TV以外のチャンネルの存在に気付いてないのか、はたまたTVの発する、焚火の炎や洗濯機の回転やパチンコの高揚とかと同じ周波数、怠惰やルーズやぬるま湯感に毒されて気付いてても夢見心地で生きていたいだけなのか。
石原慎太郎のことは決して好きではないし、彼の同性愛者に対する勘違いはよく理解できないが、うちの親父も似たようなもんなので、それは世代の問題だと片付けることにして、別に彼に伺いたい。
あなたは意識して女性を好きになりましたか?
男性を好きになろうとしてなれるのですか?
逆も然りとは思えないのでしょうか?
きっと同性愛者だって、全てとはいえないまでも、大半の人は、気付けば男が好きだった、ってことじゃないんでしょうか。
肌が黒いも白いも、本人の意思とは関係がないところになるのに、それによっていいや悪いやってなんの話かと思う。
そんなことより、男なのに男が好きでも禿げてても足が臭くても格好いい人はいいし、どんなに見てくれがよかろうがムカつくヤツにはムカつくってのが本当のところなんじゃないんでしょうか。
じゃあその差がなんなのか、が問題。
でも今回友人から回ってきた、『4期目を迎えて』(http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/tomin.htm)、仰る通りやと思いました。
人はもっと多面的。しかも反省もし、成長もする。あらゆるものは変化する。
余談ながら、彼と三島由紀夫氏が、男らしさとはなにかという問いに対して出した答えは同じだったらしい。自己犠牲。もし仮に自己犠牲の精神を持った同性愛者がいた場合、男らしいという定義と、性欲の方向性との整合性はどうとれるのか、そのへんどうなんでしょう?
以前、社会科の先生をなさってるお客さんから伺った。日本は鎖国してた時に文化が花開いたと。平安の幽玄、江戸の拉鬼。秘すこととデフォルメ。今、望まずして鎖国みたいなことになりつつあるようなのは気のせいでもないと思う。
今一度、なにがおかしくさせたのか、おかしくさせているのか、各人がぬるま湯から脱して、その頭で、その目で、その耳で、世界を眺めて欲しいなと思います。
絶対におかしいもん。
みんなストレス抱えて、病気が蔓延してて、余裕失ってて、イライラしてて、その上土壌は汚染して、なにやってんのよ?って自分で思う。
みんなで意識して生活変えていくしかない。
それはきっとしんどいと思う。
面倒臭いことをやらないと成り立たない。
でもそれが世間ってヤツでしょ。
みんなでちょっとずつ面倒臭いこと負担しあいましょーよってことなんじゃないの?
それを東京も、もはや地方も失いつつあるからおかしいんじゃないの?
自分のことは自分のこと、他人は他人、でも他人がやってるとうらやましい。
ねじれてる分、ジャイアンより潔悪いよ。
なんだか熱く、偉そうなこと、書き連ねてしまいました。
でも良恵と、最近縁あった方々と、そんな話ばっかりしています。
今年で38歳やしね。
アラフォーとか言うてる場合でもない。
言うてやっていかないと、しゃーない。
有言実行って言うてからやるってことではなくて、言うことによって実現する、言霊的なことらしい。
江戸時代に電気なかったって。
別にちょんまげ結うてお歯黒する必要はないわけで、それはそれでオモロいけど、日本の土壌、気候風土と同じ位置関係はこの地球上にないわけで、じゃあ長らく過ごしてきた建築様式の方が、戦後の建築基準法の方より現実に即してるんではないの?そこに既に無理があるんじゃないの?ってあたりからちょっとずつ考え直してみたらいいのかもしれんと思ったりするのです。
そもそもこの日本において、立候補ってシステムはどうなんでしょう?
養老孟司とか宮崎駿とか安藤忠雄とかその辺が環境大臣とかやって欲しい。
気仙沼辺りの都市計画を彼らが、自然エネルギーだけで賄えるとした上で、自然と融合した、『虫眼とアニ眼』の冒頭のイラストのような街を実現してくれると信じたい。
とにかくそれぞれが自分の特異性やプロフェッションを発揮して、この世界をよりよくしていくことに努めることしかできないのであるなら、それをやりましょうよ。
こちらはこちらでいろいろとできること、水面下で準備中です。
まもなくまとまると思いますので、またご報告致します。
Sol