At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

BLOG ブログ

気の正体

  • DATE : 2011.04.29
  • Cat : Sol

散歩してたら目に入った整体院。後日嫁もそこの案内持って帰って来、気になったと。そんなことが重なった時は行ってみるに限る。案の定、面白かった。なので一昨日良恵にも薦めて、気に入ってたので、気になる方はご紹介しますのでお気軽に。気が多い。

詳しくは梅雨時期辺りに一度、先生にSolで『なぜ身体は歪むのか?』的なお話しを、砂糖とカフェイン、なんならニコチンも摂取し乍ら聞き耳を立てる会、とか催してみようかなと思うので、その際に、と思います、が、簡単に言えば、感覚と感情を分けること、に気付くことを促すという感じ。
実際嫌いなんではなく、嫌いだと思い込む、もしくは、嫌いだと決めつけてる、ことでしかなかったりするということ。
不安も然り。
前回少し触れたけど、臨済宗の和尚と同席させて頂いた際に、仏教と神道はなぜ融合できたのかをお伺いしたのやけど、ご神体を拝むのではなく、行き着く先は宇宙論というか、自然の摂理に然うというか、物事のあるべき順序に従うというか、それを守り、常識や観念を破り、自分から離れること、それはお能でもあり、禅でもあり、道教でもあり、祈りの波動は同じだからと。
神道の鏡は、自らを写すものらしい。そこへ持っていって幸せにして下さいと拝んでみた処で、幸せになれないのであるなら、自らの努力不足の露呈でしかない、とも聞いた。
ではなにを拝むのか。
生きて五感を通じてこの世界を味わえるという経験ができていることへの感謝。
祈り。
お寺や神社は祈りの中で建てられたのではないのかなと最近思う。
優れた宿は、そこで過ごす人達を解すことだけに専心して空間を設え、庭師は石の持つ時間と木の持つ時間とその土地の持つ時間の同調点を見つけ出す。
集中ってそういうことをいい、そこにその人の気が漲り、気持ちがいい空間が生まれると思いたい。
そういう意味でいえば、今の街、地方は更に厳しい感があるけど、お金儲けに集中して造られた施設が多くなってしまったと思う。だからなんだかノイジー。
だからそこに売られてる物達の多くも、優越感を煽るものだったり、希少性を持たされたものだったりしてる。
どこそこのブランドの世界限定300個モデル!ってそれ、300個しか作らなかっただけではないの???
骨董の世界って江戸中の蕎麦猪口と一括りにしたところで、同じものなんて当たり前のように存在しないと気付けるからか、やってる人は面白い人が多い。
和尚が言っていた。
毎日同じものを食べる中に、違いを見つけることだと。
行く川の流れは絶えずしてしかも元の水に非ず。
諸行無常。
利権や思惑や策略や陰謀や。
そんな世界があるならあったでいい。
でもそうだからどうせ無理、なんじゃなくって、もうちょっとシンプルでいいんじゃない?と思ってるだけ。
お金や宝石やブランドものなんかが大事やとずっと思ってきた。
今でも手放すことに不安はある。
だって手放したことがないから、手放した先、どう感じるかは未知やから。
人間って誰しも未知への不安は起こるものらしい。
不安は感覚。
その不安と同調せず、今不安を感じてると俯瞰して味わうこと。
本当の財産って、人とのご縁と、人との繋がりと、そのことに感謝し合える気持ち、だと最近強く思う。
希少性とは物理世界では希少どころか違いしか発見できない以上、感謝や祈りの波動というか、その時間を持った時間の長さというか、そういう人や空間が、ではないのかと思う、特に現代においては。
もっと穏やかに、静かに、見えないものを観、聞こえないものを聴く意識をそれぞれが持てれば、そこに余裕が生まれてくるんじゃないかと、それこそが気を遣うということではないのかと、思ったここ数日です。
Sol