At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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行けたら行く

  • DATE : 2011.04.13
  • Cat : Sol

 以前、ケンミンSHOWでその言い回しに対して、大阪人は遠回しに断りの意と捉え、東京人は額面通り行けたら行くし、行けなかったら行かないという意、下手すれば真逆になる、とやっていた。15年東京にいて今頃ようやくそうだったのかと気付いた。その話を友人にしたところ、アンタは東京でも関西貫いてたって言われて、思わず赤面。そんな気、毛頭なし。

行けたら行く。
断りの意、とも思ってなかったけど、誠意の欠如は思ってた。
だって段取りあるし。
来るか来ないかで料理も器もグラスも変わるのだよ、と思ってた。
堅苦しい?
行けたら行く。
ワシは使わない。
そんな時は、20時で終わる予定やけど、その後の流れがどうなるか見えてないから、その日決める、もしくは遅れて参加が可能であれば行きたい、と勝手乍らそんな風に述べる。
それは自分のためであり、相手のためでもある、と思ってる。
行けたら行く。
6文字で終わるところに言葉を、心を尽くす。大袈裟か。
行けたら行く。
悪口じゃないけど、ちょっと言葉を端折り過ぎなんじゃないのかなと思ったり。
気遣い。
天気、元気、空気、人気、本気、雰囲気、気分、気持ちいい。
日常『気』という言葉を多様してるのに、その正体は知らず。
1の反対は0ではなく、-1らしい。
0と1じゃ唯物論でデジタル。
-1は霊魂とか?UFOとか?オカルト臭いけど、素粒子は?可視光線以外は?可聴域以外は?正に『気』もここに含まれる気がする。
なぜ京都に来たの?とよく聞かれるので、以上を踏まえた上で、京都は気の実態を理解してて、気を使いこなすのが上手い人が多いから、と答えるようにしてる。
もちろんすべての人が、とは言わないけど、少なからずこの度京都で出会う方達って、そんなことを大切にされる方が多い。
言葉を尽くすことも、心を尽くすことも、形に見えることでも、心にしか観えないことでも、すごく繊細に、言い換えれば面倒臭いことをたやすく乗り越える工夫を持ってられる、と言えば言い過ぎか。
工夫。
仏教由来の言葉らしい。
今世の中は0と1だけだからカサついてるんじゃないの?と思ったりする。
-1を、その一言を、その一挙手を、一手間を、惜しまないことが、潤滑油になる気がする。
私の面倒臭ささを捨てることが公への入り口かもね。
一手間、一言。
恥ずかしさがあっても、面倒臭かっても、相手を思いやるということ。
思いやるって道徳でもなんでもなく、人の営みの中で当たり前にあるもんだと思う。
でも今はそうじゃない。
今の言葉で言えば、義務とすればいいのか。
自由でありたければ、自由の権利を主張するならば、相手を思いやってこそ、ってことだったりするのかもしれない。
近所付き合いすればいいのに。
見知らぬ人とでも挨拶すればいいのに。
京都に来て学ばせてもらったこと。
こないだの日曜日、町内会の寄り合いat京都国際ホテルなるものがあったので、臨時休業頂いて、ご挨拶兼ねて参加させて頂いた。なんか八坂神社の御神酒と御神饌を頂く会、みたいな。同じ町内にはANAホテルさんも。大文字を屋上から見せてくれはるらしい。オカン呼ぼ。
お隣の源水さんのご夫婦もご一緒でいろいろお話伺わせてもらった。今度飲みにお誘いしてみようと目論見中。ちなみに源水さんの『ときわ木』扱わせて頂いてます。
夕方、友人花屋夫妻が東京からわざわざ植木を持って来てくれた。とっくり椰子という正にここに置きます、置かれます、間が合った感じの植物。もう1つ、ひねくれたサボテン。
月曜日、仲原杏子ちゃんが、2Fの座敷?用の敷物を織り上げてくれて持参。すごくいいです。今後彼女の個展を開催の予定。
今、少し企画していることが1点。
またご報告致します。