宇と宙
- DATE : 2011.04.02
- Cat : Sol
中国の古典、淮南子によれば、「宇」とは空間、「宙」とは時間だとのこと。すなわち宇宙=時空間。淮南子なんて読んだこともなく、これは佐治晴夫先生の受け売り。先月頭、あるご縁でお会いさせて頂いた。76歳にして、京都から伊勢まで食事のためだけにポルシェで動いてしまうような、物理学が専門でありながら、風姿花伝や論語なんかを引用しつつ、また65歳でバレエを始めてカーネギーに立ち、お能は観世流ですと。あと30年でこんな風になれるのか?
数学の行き着く先は情緒で、国語の行き着く先は論理と。理系と文系が分けれると思うのは妄想かもね。
日本人て情緒的なイメージやけど、実は数学的論理への理解があったからこそ、なんではないのかなと思う。0を発見したインドで仏教が生まれたのも納得する。
その佐治先生、年末に時間について著されるそう。それを子供向けにわかりやすく講義して頂けないかお願いしたところ、快くお引き受け頂いた。
さて、宇宙=時空について。
空間によって時間は伸び縮みする、とそこここで目にしては、なんの話か、と思ってたのやけど、ようやくそういうことかと腑に落ちた。
なぜわからなかったのか。
それは今、時間=お金の図式が出来上がってしまってるからなんじゃないかと思う。
時給、月給、年俸。
時間によって支払われる給与が算出される。
それが現実です、といわれれば、確かにそうですよねとしか言えない。
でもその現実って自然に即したものですか?と思う。人間が創り出したものでしかないなら、人間の手でその現実は変えることができるんじゃない???
今回の地震。自然。人にどうすることもできない。次の瞬間、ここ京都が激震に見舞われないとも限らない。こればかりは予測こそできたとしても、変えることは現段階では不可能。それでもなお戦々恐々とすることを杞憂という。
それならば、今、なにができるのか。
あきる野に住んでた時に感じたこと。
毎月25日から月末にかけて、いわゆる給料日明け、吉祥寺なら銀行は長蛇の列で、出金だけに30分とか。でもあきる野はほんの1分で終わる。人の数が少ないから。人が少ない=1人当たりの面積が広い=待ち時間が短い。だから田舎はのんびり長閑。でも渦中の人は、都市も田舎も含めて、それぞれのメリット・デメリットに気付いてない場合が多い。それはそこにしか住んだことがないからってことが大きい、と思う。仕方ないけど。だから養老孟司氏は強制的な全国民参勤交代を提案せざるを得ないんやろうと思う。
ちなみに佐治晴夫+養老孟司対談『わかることはかわること』面白いので一読を。
アインシュタインが、「ストーブの上に1分間座ってる間、すごく長く感じるでしょう?逆に好きな子と過ごす1分間はあっという間でしょう?それが相対性です」と言っている。
時間が絶対的である、という思い込みがそもそもの間違い。
時間とは相対である。よって空間によって伸び縮みするのが当たり前。時計は時という基準値を表す装置に過ぎない。時計時間と、体内時間を並行で生きてたいと思う。
お寺や教会や美術館って、不思議な空気、時間が流れてると感じたことがある人は多いと思う。それはなぜか。どうすればそんな時空を構築できるのか。
今回のSolは、伸びやかな時間を空間で創ること。
ある方に、傷んだ東京人の憩いの場に、というメールを頂いた。別に東京人だけに限ったことではないけど、時間はお金ではなく、空間とセットだと、味わってもらえたら幸いです。
時間的にも空間的にも金銭的にも余裕を失ってると、これだけ物が溢れてるにも関わらず耳にすることが多い。
先日のレセプションに仙台からもお越し頂いた。西へ西へと移動する中で、未来から過去へと移動したようだと。片やライフラインすらままなってないのに、西は相変わらず物が溢れてると。もう売切御免でいいではないかと。捨てるために作るのはもうよしましょうと。
余裕ができるから余裕が生まれるのでは決してないと思う。
余裕を持つから余裕が生じるんだと思う。
物質的なものより、精神的なものの方が先だということ。
受け取るよりも与えることが先にあるってことと同じ。
なかな