At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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すごいぞ青年!

毎月ではないのやけど、なんか思い付いたら19日に京都のとある場所で密かに催される19の会。ひょんなことで参加させてもらうようになって昨夜で3度目、棟方志功のお孫さんの石井頼子さんによる、棟方話な夜。そのとある場所には棟方作品がズラリ。


床の間には直筆による「愛染」の軸。「愛しい」で「かなしい」と読み、切ない気持ちを表すそうで、その感情を棟方は好きだったらしい。おこがましいけどワシも好き。きっとみんなも好きだと思うけど、そーでもない?1943年くらいの作品ではないか?とのこと。
で、この日は河井寛次郎のお孫さんの鷺珠江さんもお越しで、棟方と寛次郎の出会いの場面再現。ちなみに鷺さんは現在、河井寛次郎美術館におられます。さらに余談、寛次郎の言葉。
「新しからうが古からうが、西で出来たものでも東で出来たものでも、そんな事はどうでもよい。すきなものの中には必ず私はゐる」
この言葉には心動かされずにいられない。

棟方は寛次郎に全面肯定されたようで、河井家に招きを受け、40日間逗留することになるらしいのやけど、寛次郎が棟方を連れて帰るとの連絡を電報にて「クマノコツレテカエル」と打ったらしく、一家騒然、一方東京から京都への道中、寛次郎が棟方に対して何度も、「すごいぞ!青年」と言ったらしく、河井家に着くなり棟方、「すごいぞ青年、ずごいぞ青年」と口ずさみながら練り歩いたらしい。それにも一家唖然だったらしいけど、棟方がどれほどうれしかったのかがよくわかる。
当時も今も文化では食えないという常識の中、すごいぞ青年と諸手を上げて肯定してもらえる経験は何物にも代え難くうれしかったに違いない。
きっとそれは、
「偉大な精神を持つ人は、常に、凡庸な考え方を持つ人に激しい反発を受けてきた。陳腐な先入観に盲目的に従うことを拒否し、勇気を持って正直に自分の意見を表明する人のことを、凡人は理解できない。by アインシュタイン」
反発に対し、信念を持ってしてもやはり屈しそうになったんじゃないかと想像できる。そんな中、やっぱり自分は間違ってなかった!という思いだったんじゃないかと思う。

話は戻って、棟方が河井家で過ごした日々は、最初度肝を抜かれた家人達が今度は逆に恐縮するぐらい礼儀正しかったそうで、棟方が寛次郎から受けた影響は測り知れなかったよう。

この夜は河井家ゆかりの、棟方も愛した、『濱喜久』のお弁当。その後、棟方の茶碗でお薄。


釘絵。


染付。

釘絵はお手の物だったらしいけど、絵付けは難しかったらしく、寛次郎や浜田庄司の上手さに舌を巻いてたとのこと。
棟方は洋菓子、特にニューヨークチーズケーキとお抹茶を合わせるのが好きだったらしく、この夜のお菓子は進々堂のニューヨークチーズケーキで。その話を聞いた、この日お越しの鈴木大拙元秘書の岡村美穂子さんが、「じゃぁ棟方は半分ユダヤ人ね」って仰って、え?となったのやけど、ニューヨークチーズケーキはユダヤ人の産物とのこと。へーーーー知りませんでした・・・。
で、岡村先生。また素敵な方でした。
そもそも民藝運動は禅の思想が底辺にあり、寛次郎にも棟方にも影響を与えた鈴木大拙。その孫、元秘書が一同に会する場の不思議は言葉にできない。


谷崎本の装丁。かわいすぎる。棟方は優に400冊は超える装丁をしたらしい。
また棟方が愛した、上口愚朗、またの名を雲谷斎(ウンコクサイ)作のジャケットがまたすばらしくかわいくて。ギャルソン、ネメス(懐かしっ)あたりにありそうな、素材はツイードやねんけど、左右が別々、ボタンは4つ付いてるのに、ボタンホールは1つで、ポケットの位置もパターンも違う。でもイヤらしくなくて。欲しい。

民藝とはなにか、そんなことは語れないけど、もっとずっと浅いところで、現在、美の欠如をすごく思う。
美しさをも経費削減の範疇に含む考え方が横行する。それは地方に行けば更に顕著。東北も関西も九州も初めて訪れた地のはずなのに、なんだか見慣れた景色で一体自分がどこにいるのかわからなくなる。ペラッペラの建物が幅をきかし、なんだかよくわからないものでできあがった食べ物達。
コストを下げたことでよくわからない病気や、それによる死因が増える。それってトータルで見たらコストは確実に上がってると思うのやけど、間違ってますか?
安さにひかれて買った食材を口にすることで病気になって薬を飲むことになったとしたら、さて?
その因果関係が絶対ではないけど、かといって無関係だとも言い切れまい。

「基準を学問という。基準のない人間は、人から信用されない。美でもない。美でもなければ人から敬愛されない。by 司馬遼太郎」
親が子を殺し、子が親を殺す世の中が真っ当なはずがない。美の欠如が敬愛する心の欠落と繋がっているのではないのか。
自らのうちに基準を持つこと、その基準は学問により培われていくということではないのか。ではなにが学問か。それは文化や歴史、また本物や一流に触れることではないのか。

「幸福の要は、ありのままの自分でいることを厭わぬこと。by Desiderius Erasmus」
その人がその人であること以上に美しいものはない、と思う。
あるがままであることの美しさを否定しようがない。
夏は暑いからこそ夏であり、夜は暗いからこそ夜であり、時間を経て変化していくことが自然の摂理であり、死ぬからこそ生きているのであり、でもそれらをどうも嫌うのが人間。
物質的豊かさを否定はしない。でも今、物質的にも豊かかどうか疑問。
そして精神的にはこの上なく貧しいと思う。
目に見えるものだけが世界ではない。
なんだか人間には創れないものの価値を軽んじ過ぎたのではないのか、と思う。
寛次郎や棟方がそうであったように、自らの基準を見出し、それを貫くことが幸福であり、美しさである、そのような世の中であって欲しい。
「すごいぞ青年!」と声を掛けれるような生き方をしたいと改めて思わせてもらった夜でした。

さて現在京都では、6/13(Sun)まで、楽町楽家というイベントが行われてます。京都に行かれる際は是非お立寄を。

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*お酒の席での記憶を頼りに書き起こしたことなので、誤った表記があるかもしれませんが、その際はご一報頂けましたら幸いです。