At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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もう少し真剣になりませんか?

素敵な部屋にしたいのです、という依頼があって、まぁ仕事ってほどでもなくお手伝いしてる方がいるのですが、どうにもこうにも進展せず。
そもそも素敵な部屋ってどんなよ?
極端やけど、SM仕様の部屋を素敵!と思う人もいるやろうしね。
ワシの思う素敵にしたところで、それがその人にとっての素敵であるかどうかの保証はない。
実際、Floorやってた時も、素敵と言って頂けることもあったけど、酷評もあったわけでね。
一部の友人からは、ホントにゴミみたいなもんが好きだよねと言われたりするしね。
でも、ゴシックっぽくしろとか言われると、それはそれで対処する。だってそれはその人が過ごす空間やから。そのためのお手伝いをするわけで。

で、とにかくなぜ進展しないのかと言えば、その素敵の内容、その人がなにに心ひかれ、なにを素敵と捉えるのか、具体的にどんな部屋にしたいのか、それがないこと。
インテリアデザインをやってる先輩が、私の仕事はカウンセラーみたいなもんって言われてて、すごく共感した覚えがある。だからその人の趣向性や考え方、生き方ってのをインタビューすることに時間を割く。
でもわからない時もある。今回のようなパターン。だって、わかるもなにも、その本人がわかってないのやもん・・・。
だからとにかく、好きなものと好きでないもの、必要なものと不要なもの、先ずはその整理からやってみて、と言ったのが2月。
ちなみに、好き嫌いを横軸に置くと、必要不要は縦軸にくる。更に説明しておくと、必要不要は生活必需品か否かの意。もちろんそれも個人差はあるやろうけど。
ということは、
1,好きで必要
2,好きでも不要
3,嫌いでも必要
4,嫌いやし不要
という4パターンが見えてくるはず。
1はなんの問題もない。でもこれだけでは生きてはいけない。
2はなくても生きてはいけるけど、それがあることで本人を気分的に豊かにしてくれるもの。
3が結構問題。でもそれなら徹底して好きなものを探すか、好きになるように手を加えればいい。工夫、やね。
4はさっさと処分しなさい。
整理って、理(ことわり)を整えるわけやからね。

それが半年経っても整理が付かず、片付かず。
先日、ええ加減にして、と言うた。
そしたら昨夜メールがきて、
タロットに「なぜ、部屋の片付けができないのか?」を聞いてみました、とのこと。
カードに描かれた剣には、不要なもの、古くなったものを削ぎ落とす、とあったそう。
・・・同じことをワタクシ、散々言いましたけど?
余談やけど、こないだメールを頂いた方もかなり混乱状態と見受けたので、言いたいことを書き連ねさせて頂きましたが、どうやらその方、ご主人からも同じことを言われてたそう。ご主人から、それ、オレも常々言ってたよねって言われたらしい。
どうやら近くの人の話には素直に耳を傾け辛いものらしい。

そもそもね、
「なぜ、部屋の片付けができないのか?」
という設問自体がおかしいのです。
そういう風に考えることが理解できないわけではない。ワシも以前はそうやったから。でも今はそんなことは考えない。その前に片付け始める。
あの人は片付け上手なのに、アタシって駄目ね・・・ってことなんじゃないのかな?
生まれもって片付けが得意な人も中にはいるやろうし、育った環境がよく整理されてたか否かで差異もでるやろうけど、どうであれ、初めはみんな素人で、下手なもんですよ。試行錯誤の先に成長がある。
仮に片付けができない原因がわかったとしたら、部屋は片付くのでしょーか?

こっちに置いてみてなんだか落ち着きが悪いと感じたから、別の場所に移してみてまた眺めてみる。あと5cmズラしてみる。そんな繰り返し。そのパターンが多いと迷わなくなる。
実際、眼で見て確かめてるわけやもん。経験として知ってるってこと。だからイメージができる。未経験のものをイメージなんてできないです。例えば生麩を食べたことない人に、生麩とはなんぞやと延々言葉を尽くして説明しても、最終的にはわからない。結局、食べてみたら?って話でしょ。百聞は一見に如かず。

話は戻るけど、素敵とかって目に見えない感覚だからこそ、漠然とさせてはいけないと思うんです。
漠然とした不安がある、とか本当によく耳にするけど、それって、なぜか不安、ってことでしょ?ではなく、なぜ不安か?でなければならないんじゃないかなって思うんです。

考えても答えのでないことを考えて、考えれば答えのでることを考えない。
なんだかなって思う。

今、『平成経済20年史』って本を読んでるのやけど、是非読んで欲しいと思います。きっと読めば、騙された、欺かれたって思うこと多々かもしれんけど、それは見当違い。
なにも騙すヤツがいても仕方ないと言う気はないし、そら騙すヤツは悪いと思う。日本人として、騙すことは卑怯な行為だと教育されてきたわけやしね。
でも騙すことに罪悪感を持たない人っているみたいでね。なら騙されないように意識する必要は当然ある。それをせずして、騙したヤツが悪いって言うのは如何なものかって感じやん。
騙すヤツは騙すための努力をしてるのやから、騙される側も騙されないための努力をしないと駄目やと思う。だからといって、自分も騙していいってことにはならない。騙しもせず、騙されもせず、今はそんなスタンスが問われてるのやと思う。詐欺や偽装が常態化した世の中なんて嫌やけど、この流れを止める術を知らない。
だとしたら、漠然とした不安なんて言ってないで、自信がないなんて言わないで、真剣に自分と向き合うことが必要なんじゃないか、真剣に自分のルーツを探っていく必要があるんじゃないか、その結果、自ずと見えてくるものがあると思うのです。

真剣になってみませんか?