もう少し真剣になりませんか?
- DATE : 2009.09.08
- Cat : chezの独り言
素敵な部屋にしたいのです、という依頼があって、まぁ仕事ってほどでもなくお手伝いしてる方がいるのですが、どうにもこうにも進展せず。
そもそも素敵な部屋ってどんなよ?
極端やけど、SM仕様の部屋を素敵!と思う人もいるやろうしね。
ワシの思う素敵にしたところで、それがその人にとっての素敵であるかどうかの保証はない。
実際、Floorやってた時も、素敵と言って頂けることもあったけど、酷評もあったわけでね。
一部の友人からは、ホントにゴミみたいなもんが好きだよねと言われたりするしね。
でも、ゴシックっぽくしろとか言われると、それはそれで対処する。だってそれはその人が過ごす空間やから。そのためのお手伝いをするわけで。
で、とにかくなぜ進展しないのかと言えば、その素敵の内容、その人がなにに心ひかれ、なにを素敵と捉えるのか、具体的にどんな部屋にしたいのか、それがないこと。
インテリアデザインをやってる先輩が、私の仕事はカウンセラーみたいなもんって言われてて、すごく共感した覚えがある。だからその人の趣向性や考え方、生き方ってのをインタビューすることに時間を割く。
でもわからない時もある。今回のようなパターン。だって、わかるもなにも、その本人がわかってないのやもん・・・。
だからとにかく、好きなものと好きでないもの、必要なものと不要なもの、先ずはその整理からやってみて、と言ったのが2月。
ちなみに、好き嫌いを横軸に置くと、必要不要は縦軸にくる。更に説明しておくと、必要不要は生活必需品か否かの意。もちろんそれも個人差はあるやろうけど。
ということは、
1,好きで必要
2,好きでも不要
3,嫌いでも必要
4,嫌いやし不要
という4パターンが見えてくるはず。
1はなんの問題もない。でもこれだけでは生きてはいけない。
2はなくても生きてはいけるけど、それがあることで本人を気分的に豊かにしてくれるもの。
3が結構問題。でもそれなら徹底して好きなものを探すか、好きになるように手を加えればいい。工夫、やね。
4はさっさと処分しなさい。
整理って、理(ことわり)を整えるわけやからね。
それが半年経っても整理が付かず、片付かず。
先日、ええ加減にして、と言うた。
そしたら昨夜メールがきて、
タロットに「なぜ、部屋の片付けができないのか?」を聞いてみました、とのこと。
カードに描かれた剣には、不要なもの、古くなったものを削ぎ落とす、とあったそう。
・・・同じことをワタクシ、散々言いましたけど?
余談やけど、こないだメールを頂いた方もかなり混乱状態と見受けたので、言いたいことを書き連ねさせて頂きましたが、どうやらその方、ご主人からも同じことを言われてたそう。ご主人から、それ、オレも常々言ってたよねって言われたらしい。
どうやら近くの人の話には素直に耳を傾け辛いものらしい。
そもそもね、
「なぜ、部屋の片付けができないのか?」
という設問自体がおかしいのです。
そういう風に考えることが理解できないわけではない。ワシも以前はそうやったから。でも今はそんなことは考えない。その前に片付け始める。
あの人は片付け上手なのに、アタシって駄目ね・・・ってことなんじゃないのかな?
生まれもって片付けが得意な人も中にはいるやろうし、育った環境がよく整理されてたか否かで差異もでるやろうけど、どうであれ、初めはみんな素人で、下手なもんですよ。試行錯誤の先に成長がある。
仮に片付けができない原因がわかったとしたら、部屋は片付くのでしょーか?
こっちに置いてみてなんだか落ち着きが悪いと感じたから、別の場所に移してみてまた眺めてみる。あと5cmズラしてみる。そんな繰り返し。そのパターンが多いと迷わなくなる。
実際、眼で見て確かめてるわけやもん。経験として知ってるってこと。だからイメージができる。未経験のものをイメージなんてできないです。例えば生麩を食べたことない人に、生麩とはなんぞやと延々言葉を尽くして説明しても、最終的にはわからない。結局、食べてみたら?って話でしょ。百聞は一見に如かず。
話は戻るけど、素敵とかって目に見えない感覚だからこそ、漠然とさせてはいけないと思うんです。
漠然とした不安がある、とか本当によく耳にするけど、それって、なぜか不安、ってことでしょ?ではなく、なぜ不安か?でなければならないんじゃないかなって思うんです。
考えても答えのでないことを考えて、考えれば答えのでることを考えない。
なんだかなって思う。
今、『平成経済20年史』って本を読んでるのやけど、是非読んで欲しいと思います。きっと読めば、騙された、欺かれたって思うこと多々かもしれんけど、それは見当違い。
なにも騙すヤツがいても仕方ないと言う気はないし、そら騙すヤツは悪いと思う。日本人として、騙すことは卑怯な行為だと教育されてきたわけやしね。
でも騙すことに罪悪感を持たない人っているみたいでね。なら騙されないように意識する必要は当然ある。それをせずして、騙したヤツが悪いって言うのは如何なものかって感じやん。
騙すヤツは騙すための努力をしてるのやから、騙される側も騙されないための努力をしないと駄目やと思う。だからといって、自分も騙していいってことにはならない。騙しもせず、騙されもせず、今はそんなスタンスが問われてるのやと思う。詐欺や偽装が常態化した世の中なんて嫌やけど、この流れを止める術を知らない。
だとしたら、漠然とした不安なんて言ってないで、自信がないなんて言わないで、真剣に自分と向き合うことが必要なんじゃないか、真剣に自分のルーツを探っていく必要があるんじゃないか、その結果、自ずと見えてくるものがあると思うのです。
真剣になってみませんか?