At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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実るほど

今日、こんなことを聞いた。
コヤブソニックって知ってる?
小薮千豊の笑いとライブのフェス。
あの人、センスいいね。
キョンキョンとかスチャダラとかチャラとか、笑い飯とか千鳥とか。
で、良恵も出たいって言うたら出してくれることになって、それが先週末。
良恵いわく、小薮がすごい腰低くて、鼻毛出しながらみんなに丁寧に挨拶してて、もーすごかったと。
打ち上げの席でみんなから、小薮はすごい!と声が上がり、それに対して小薮、
「自分の仕事は舞台で笑いをとることやなくて、挨拶や頭下げることが仕事です」
今度前半変えて使こうてみよ。
したいこと、好きなことは仕事ではなくて、したいことで、好きなことでしかない。
それをするためには人の協力は不可欠。
打算ではなく、心底そう思えるかどうか。

ブログなんて面倒臭いと思ってた、と良恵。
でもヤツは最近自分でアップするようになった。
面倒臭いことを嫌がるのではなく、面倒臭いことを当たり前のこととすればいい。なんならそれすら楽しめばいい。
そう思うようになってから、歌が楽になった、肩の力が抜けた、と言うてた。
うちのオヤジも同じようなこと言うてた。
中小企業のオヤジなんてつまらんもんやぞ。と。
したいことのうち8つか9つは我慢せなあかん。
その覚悟がつかへんかってんな、今までワシ。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
オカンがいつも言うてるわぁ、と言うてた。

なんか、島木譲二もおったから一緒に写真をと頼もうと、さっき出てたエゴラッピンですって挨拶したら、
「わて、なんも知りまへんねん」
言いながら、ごめりんこでポーズ。
その後、灰皿と一斗缶を渡され、もう一斗缶はイヤやと言いながら舞台に立ち、戻ってきた時には汗だく、息も絶え絶えで、しばらく動けなかったらしい譲二。
壮絶。
プロってすごいね。
良恵は、みんな一流やったわ言うてた。
そんな人達と一緒できるアナタも十分一流やと思いますけど。

なんか思い違いをしてたことって、いっぱいある。
ここ最近、それに気付かされることが多い。
昨日の『罪悪感と無価値観』も結構ドキっとした。
考えてみれば既に1人の人間として、現に生きているのに、価値がないはずがない。
同じ人間なんていないのやから、みんな初めから個性があるに決まってる。
だから自己表現や個性を発揮する必要なんてどこにもないのに、なんだか自分を認めて欲しくて躍起になってしまう。
うん、多くの人は、自分には価値がないと信じ込んでると思う。少なからずワシはずーっと深いところにそれがあった。
信じ込まされたのかもしれんけど、でも今それを信じてるのは自分。
じゃあ自分には価値がある、と信じてみたらどう?
いつやったかそう思った。
それに気付いたからお店やめて、自然の多いところに住んでみたいと思った。
それが2年半前。
人に言えないこともいっぱいやった。
とは言え、その全てを知ってる友人は何人かいるけど。
弱さとか、セコさとか、狡さとか、自分の最も嫌いとする部分を自分も持っていることを認めたくはなかったのかな。
昔からオヤジに言われ続けた、スケールの大きい人間になれという言葉の呪縛から、ようやく解き放たれた気分。
セコいってスケールの小ささを指すというても間違いないやん?
そんな恐ろしいこと、できませんって心理やったのかもしれん。
オヤジの期待を裏切りたくなかったんやろな。
別に期待なんてしてなかったみたいやけど。
こっちが勝手に期待と捉え違えただけで。
期待ではないあの感情は、親にならないとわからんのやろな。

ちなみにスケールが大きいってどういうことか、その答えがずっと見つかってなかったのやけど、最近、公を考えられるかどうかなんちゃうかと思うようになってきた。
自分を認めてもらうことに労力を割くのではなく、相手が本質的に必要としているものを提示することなんじゃないかと。その相手の範囲をどこまで拡げられるのか。
そう思えば、マザー・テレサとかガンジーとか、凄過ぎる。
一番深い本質の部分、欲求を掬い上げたってことなんやと思う。

オヤジがよく、人生はやり直すことはできひんけど、立て直すことはできる、と言うてた。
地盤沈下してんねんもん、基礎しっかりやり直してからでも遅くない。
その遠回りができてよかった。

今、いろんなことが、ストンッと自分の中に落ちてきてます。
とりあえずは、頭を垂れれるほど実ること、を目標に頑張ってみます。