At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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大切な時間

奥多摩湖の先、山梨に入ってすぐの場所に、一之瀬村という廃村があるので、行ってみない?との誘い。青梅街道を北西に進むと、林道への分岐、そっちに進むこと約20分、突如村落の出現。決して廃村ではなく、住民はいた。
どーいうことなんやろ?
電気はきてそう。きっと水道も。ガスはプロパンなはず。
こういうところまで道もインフラも整備、日本てすごいねって思った。
もちろん住人がそれを望んだかどうかは別の問題にしても、山奥に住む権利は保証されたことになる。
でもどーやって生活してるのか、疑問。
自給自足?年金生活者には現金支給はあるやろうけど、それ以外の層はどこか働きに出るといっても、それだけでものすごい労力やろうし、だとしたら現金収入をどうやって得てるのか、見えない。
かつては良質の木炭でも街に売りに行ってたのかも?でも現在は若者は街へと移り住むしか生きてはいけないのかもね。
なんだか釈然としない思いを抱えつつ、来た道を戻ると、廃校も発見。もう子供もいないってことかも。

見晴らしがいい場所で少し休憩。

すごい谷。写真では映り切らないけど、とにかくすごい標高差。
こんな経験なかったかも?と言うと、友人に意外な顔をされた。その友人はムービーのカメラマンで、月の半分はどっかに行ってる。こないだはモンゴルの少数民族や、パプアニューギニアの原住民なんかを撮影に。秘境なんて珍しくはないみたい。来月から約2ヶ月、ネパールからヒマラヤへ行くらしい。そんな体験を持ってる人は、言葉数は少なくても、感じてることの層は厚い。

まだまだ寒空。でも春の匂い。

ふと足下を見たら、ゴミだらけ・・・。
どーいうこと?

そしてここまで山奥に来ると、杉の木はあまり見当たらない。このあたりの5月は、それこそ楽園やろうな。

帰りは奥多摩周遊道路。
視界の左隅になにか動くもの。見たら、猿の親子。野性?と思ってUターンしたら、1本の木に50匹くらいたわわに猿・・・。
そんだけいると、もう怖いです。

ヒィーと逃げるように走ると、また2匹。ちょっと写真を、と思ったら、威嚇のポーズ。
きっと鹿や猪や狸なんかも当たり前にいてるんやろな。

ブータンのある集落に毎年鶴が舞い降りるらしいのやけど、そこにインフラ整備の計画が持ち上がった際、住人は、電線があると鶴が来なくなるかもしれないので、と、便利さよりも、鶴との共生を選んだらしい。
通常、放っておくと、もっともっとと思ってしまってるもの。無意識に安全装置が働くというか、ストックが欲しかったり、保証、保険を求めるもの。それが間違いだなんていう気はないし、心理ってそんなもんやと思う。ただその無意識を意識できるかどうかが重要になる。
きっと幸せになりたいと思うのも、そういうとこからきてるのやと思う。
でも。
幸せになりたいって思うってことは、現在、幸せではないと言ってることに等しい、ってこと。
現状幸せではないという認識をしている以上、幸せになんてなりようがない、わな。
そもそも、幸せってなに?って話。
誰かや、なにかの不幸の上に成り立つ幸せって一体?とも思うし。
もちろんなにものにも迷惑を掛けずに生きるなんて無理な話やから、せめてそうだということは認識して、そこに自戒と感謝を持たないとと思う。

『最後だとわかっていたなら』(ノーマ・コーネット・マレック)

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのをみるのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返して見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれたかもしれないけど
最後だとわかっていたら 一言だけでもいい・・・・・・
「あなたを愛している」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないものだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスするための ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切なひとたちを
しっかりと抱きしめよう そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時をもとう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

クサいっちゃクサいけど、こういう気持ちってすぐに忘れる。
幸せってなんやろね。