At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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柔道とJUDO

やっと待ちに待った、古物商の許可が下り、警察へ。
今日のお相手は、今までやり取りしてた意地悪なオッサンではなく、角刈りの若者でした。オッサンよりは話のわかる感じ。でも融通は・・・微妙。まぁええわ、町内会に警官いてはるし。
古物商の取り扱いは、警察署の中の防犯課というところで、五日市署では3Fにあって、だからエレベーターを使うのやけど、ふと見たら、最上階は道場。やっぱ剣道柔道やるのかね?

それで思い出したこと。
昨日高木サンちで見せてもらった録画、NHKスペシャル『日本柔道を救った男 石井慧』みたいなタイトルやったと思う、で思ったことが多々。柔道がJUDOになった、とよくオリンピックなんかで耳にしてたけど、なんだか負け惜しみに聞こえてて、でもそれが何をもってしてそうなのかが、ようやくわかった。そのことを今のうちに。
グルジアかどっかで、柔道に似た武術みたいなんがあったりして、そこで奥襟というか、背中と足をもって投げる技があって、それをなんやっけ?ヘベレケ、みたいな、絶対ちゃうけど、そんな横文字の技として既に存在してるらしいねんね。かなりあやふややけど、そんなこと言うてた、確か。別にそれはそれでいい。体操とかで『森末』なんて技もあるわけやしね。
では、柔道とJUDOでは一体何が違うのか。
本来柔道って、一本勝ちを目指すもの、それが、JUDOは、勝つことが目的になってしまってるという点。どちらも勝つことが目的には違いがないが、その手段が違う。
一本という美しい勝ち方か、無茶苦茶な投げ方でも勝ちゃええのか。投げるもなにも、それ以前に帯を緩めて解けやすくしてみたり、道着の襟を分厚くして掴みにくくしてみたり、もちろんそれも作戦なんやろうけど、ちょっとイヤラしくないか?と思ってしまったりもする。とにかく相手の反則を待って、僅差のポイントで勝つ、とか。イラッとすんね、あーいうの見てると。
そう、今は勝ち負けばかりを大事にするけど、本来日本人は、勝つにしろ負けるにしろ、その勝ち方負け方を大事にしてきた文化を持ってる気がする。
そもそも、評価基準は勝ち負けの2つだけではない。
勝負を縦軸に置いたとすると、美醜を横軸に置かねばならない、と思う。
・美しい勝ち
・醜い勝ち
・美しい負け
・醜い負け
って4つの基準があるはず。
美しい勝ち方を目指すことは、必然的に負ける方も美しい負け方になる。
醜い勝ち方をしたら、同じく必然的に相手も醜い負け方になってしまう。
だから美しい勝ち方を目指すことは、相手を思いやる行為でもあるのではないのか、と思う。
言い換えれば、力ではなく、技で勝つ、って感じ?力で抑えれば、恨みが残る、技で勝てば心服する、かの諸葛亮孔明も言ってた気がする。
それが、道というものではないのか?
柔道、剣道、武士道、茶道、華道、美しいさと思いやる心を何よりも大事にする教えなのかもしれん。それを品と呼ぶ。そして勝つためには手段を選ばぬ、そんなやり方を、下品と言う。それが日本人の心なんだと思いたい。

石井は、下手な作戦を練ったわけではなく、外国人選手が3分でスタミナ切れを起こすことに気付いて、だから自分はそれ以降もスタミナがきれないようにと努力をした結果の金メダル。それは決してイヤラしいことではない。
そう思えば谷本なんて2大会連続オール1本勝ちで金メダル、それって今となっては奇跡のよう。
正々堂々、潔さ、その上での勝ちが本当の強さなんやろな。

そもそも柔道って、勝ち負けの競技じゃなくって、フィギアスケートとかシンクロナイズドスイミングとか体操みたいな採点方式の競技やったらよかったのかもね。そう思えば、それらの競技って日本人頑張ってるもんね。美しさを形にすることに長けてるというか。

品。それを解する日本人やねんもん。その精神性をもっと大事にできれば、日本の未来は明るいはず。

とは言うものの、相撲もSUMOになってしまうのか?もう既になってしまってるのか?そんなんもう、オエッて感じ・・・。