耳に痛い言葉
- DATE : 2008.10.27
- Cat : chezの独り言
家賃払いついでに、不動産屋の社長に時間もらって、考えてることを聞いてもらいました。
この不動産屋さん、トイレの洗面にはホテルのようにハンドタオルがいっぱい折り畳んであって気持ちいいのやけど、やっぱそういう感覚を持ってはるだけに、話はスムーズ。
変な?キャラクター作っての町起こしとか絶対にやめた方がいい、とか、蛍光灯色ではなくってオレンジ色の街灯にした方がいい、とか、まさに我が意を得たりって感じ。ただ湯布院の町並みも一朝一夕では成ってないから、焦らずゆっくり取り組みましょうと。できることはサポートするよと言うてくれはって、いろいろ作戦も伝授。
そんな話の中で、社長が一言。
「都会の人はグウタラやからねぇ」
と。
ホンマにそう思う。
ワシ、それに気付くの、2年掛かりました・・・。都会に住んでた時、自分がグウタラだなんて思ってもみなかった。ちゃうな、グウタラな部分があるとは思ってたけど、ここで言うグウタラと、その時感じてたグウタラの定義が違うかったんやろな。当時、グウタラだと思ってもないのに、自分の生活を見つめるなんてこと、するわけないもんね。うーん、お店閉める何ヶ月前からか、グウタラとまでは思ってなかったけど、なんか違うと思い続けたことが世間の問題ではなくて、自分の問題かも、と思いだしたから、いっそのこと、と田舎に移ったのかな。そして実際に田舎に住んで、仰る通り、グウタラでしたってこと、痛感したな。
自分でできることを人にやってもらうことが当たり前と思ってた節、あったもん。さして重要ではないことを重要だと思い、重要なことを疎かにしてたしね。田舎に来て得た最大のことは、それかも。
人間にとって、変化をしない方が都合がいい。夏は涼しく、冬は暖かい方がいい。それは正否の問題ではなくって、そう思うんだから仕方ない。でもそれを現実のものにしようとすることは、不老不死を求めるようなもの。死にたくないなんて叫んでも、人はいずれ必ず死ぬ。同じものはなく、変化しないものはない。それに気付かず、変化を避けようと、変化を嫌がる姿勢が、グウタラってことなんちゃうかな。
とりあえず今週末は、町内会の寄り合いに行ってきます。