At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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全てはアナタ次第

『Toco』の掃除、ワックス掛けなんかをした午後。
向かいの散髪屋のおばあちゃんがかわいくて、駐車場もどうぞどうぞと使わせてくれはって、みんなお店できるの楽しみにしてるんですよ、とか言うてくれはったり、裏の家のおっちゃんも、無愛想装いつつ、なんやかんやと気に掛けてくれはったりと、なんだかとても恵まれた環境。
こんなおばあちゃんやおっちゃんが、しょっちゅうお店に遊びに来て、縁側でお茶でもしてくれてはったらいい感じやねんけどね。

夜、福中から什器の納品。購入時の納品日時を決める段で、閉店後に来てもらって、うちでご飯食べてくってのはどう?と言うてみたら、二つ返事でいいんですかーみたいな反応で、そういう無駄な遠慮のない感じって好きなんやけど、が実現。
豚バラと牛蒡の炒め煮、冬瓜と桜えびのスープ、漬け物各種、なご飯。baco先生作。久々ご飯3杯も食べてもうた。

福中からは、店長とバイトちゃんが2人で来てくれたんやけど、そもそもからいい感じやなーと思ってた通り、オモロいのです、2人とも。ハッキリしてる。
『Floor』時代にホントよく、オススメどれですかって聞かれたんやけど、ま、オススメできひんようなもんはメニューに載せるわけないのやけど、そこが先ず通じなくて、結局お客さんが聞きたかったオススメとは、オススメではなく、どれが一番人気か、どれが一番出てるのか、やったんですね。不思議な話ですけど。
オススメするってことは、最近入荷した珍しいお茶、とか、今が旬、とか、場合によっちゃ賞味期限ギリギリなので売りたいからオススメ!なんて場合もあるやろうけど、そんな店側の都合と、お客さんの気分、体調、好みを伺った上で、一番合うであろうものをオススメするって場合との2つが考えられると思うんです。それがオススメ。
よくあった、オススメと呼んでいるそれ、一番人気、言うなれば多数派でありたいという願望は、主体性のなさの現れなわけです。
具体的に、例えば100人中99人が美味しいと言うたところで、ワシはそうでもないなーってことはある、それは極端か、ま、半数以上が美味しいと言おうが、ワシはそう思いませんってことって多いにあるわけやもん、逆も然り、どれが1番出てるかってのは、ある種の基準にするのはわかるけど、じゃそれで、と即答できてしまうことは怖いことやと思ってるのやけど、どーですか?
自分がどう感じ、どう思うか、よりも、世間がなにを良しとするか、の方が重要になってるという怖さ。そのおかしさをおかしいとすら感じていない人に、それを伝えることのまた難しいこと。
それはもう素晴らしい学校教育の賜物ですわな。
そこに逆折伏の必要を多いに感じるわけです。なので理を料るという意味でのサロン・ド★ピンクなんですけどね。
なんて話で大盛り上がり。
古道具にしても、これどうやって使うんですか?とか聞かれるわけですよ。例えばボールがあったとして、そんなもん、花活けようが、料理盛ろうが、灰皿にしようが、頭に被ろうが、お好きにどーぞなわけやけども、いちいち正解を求めたがるわけで、その姿勢ってやっぱおかしいと思うわけですよ。

世の中がどうであるか、他者はどうなのか、それを考慮することは、社会に生きる上で絶対的に必要でしょう。でもそれ以前に、自分個人としての存在がないことには、その個人に社会は存在しようがないわけで、意味わかる?死んでたら世界も社会もあるわけないってことね、だから、同時に、私はどうなのか、それも多いに必要でしょう。その欠落が、個人より社会や他者の方が大き過ぎるから、おかしなことになってる、と思うんです。だから自信がないって言えてしまうわけでしょ。

もういい加減、世間でダサいとされてようが、好きなら好きと言えばいい。それが個性。そしてそれを堂々と言える人間に、魅力が宿ると思うんです。
真面目ないい人より、アイツおかしいんちゃうって言われるヤツの方が、オモロいって。比べることでもないけど。もちろんおかしさのベクトルは、破壊的方向ではなく、創造的方向で、やけど。

私はこう思う、で、アンタはどーなの?世の中はどーなの?それが健全な気がします。
今の多くは、世間はどうだから、私もそう、なわけでしょ。それ、ホンマに私もそう思ってるの?って話。それ知ってるのは、その私本人だけやからね。そんなこと、占いやっても答えは出ません。私に問うしか方法はない。