七夕の夜
- DATE : 2008.07.07
- Cat : chezの独り言
昼間オーラソーマをして、夕方から葉山へ。
葉山は高木さんち。もう名前を明かす。ちゅうても誰?って感じやろうけど。
本棚物色してたらオモロそうな本。何冊か持ってきたけど、これがオモロそうなので、読み始め。オモロ過ぎ。左のオススメにアップしたので、ヒマなんてないやろうけど、ヒマ見つけて読んでみて。
『平気でうそをつく人たち』
うその定義が難しいけど、取り繕うことも、自分を自分以上に見せることも、ウソと見なす、その上で、なぜそんなに七面倒くさいことをする必要があるのか、自分を晒すことの恐怖心とはなにかを言及していく本。
オーラソーマしてると、同じようなことに出くわす。そこムキになるとこちゃうやん?ってとこでムキになる人って多い。自分を見透かされそうで怖いとか、自分に向き合うのはしんどいし、怖いとか。
そんなこと言ったって、見透かす人がいるという認識があるから、見透かされるのが嫌なわけで、ということは隠すだけ無駄ってことになる。もちろん、見透かせない人もいて、騙すことができると思ってるから、そうするのやろうけど、もしかしたら、騙せると思ってるのは本人だけかもしれないし、なにより、そうした時、相手がどうであれ、騙したことを本人は間違いなく知ってる。だから自分とも向き合いたくないのやと思う。きっとそんな自分を知りたくないってこと。
でも自分を知れば、今なにを感じ、なにをしたいと思う、そんなことはわかるはずで、それを行動に移すのも自分でしかなくて、もちろん、人に相談してもいいけど、誰かが左に行けばいいんじゃない?って言ったところで、でも右に行くって選択肢はあるわけで。
全て自分で選んで、自分で決めている。今までもそうしてきたし、これからもそうするしかない。その認識の欠落があるんじゃないか。
誰かに決めて欲しい。その気持ちはわかるけど、そんな他人の責任まで負いたくはないやん?結局決める手助け、アドヴァイスはできるけど、決めるのは本人でしかない。そうであるなら、選ぶ時点でより多くの選択肢を持ってた方が有利に決まってる。じゃどうやって選択肢を拡げるのか。今自分が持ってる選択肢、それは偏見と呼べるかもしれないけど、それを持ってることを知った方がいいということになるのではないか。ということは自分に向き合うしかない、やん・・・。
なんで怖いのか。
なんでも初めてやることは怖いって。一寸先は闇。昔の人はよく知ってる。怖くないことやっても、なんの成長もない。それをやってこそ、見えなかったものが見えるようになる、そう思う。
残念ながら、今夜の葉山は闇夜。天の川で出逢えたのやろうか。人の逢瀬に興味なんてないけど。