At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

BLOG ブログ

ひたすら西へ

26日、11:00出発。
檜原村の山道越えて、上野原から中央道で長坂、TRAXへ。4末に初めて訪れてから、既に5回目。回数重ねれば、徐々に近くに感じるようになるから、慣れって感覚も捨てたもんじゃない。
角田さんや五木田さんの展示見て、悦子さんとお蕎麦を食べて、15:00、また西へ。中央道から名古屋通って、伊勢道久居から白山越えて名張へ。
地図も持たず、住所も聞かず、ただ名張とだけ聞いてた目的地に、気付けば着いてた不思議。昔から、土地勘がいいと言われる。なのでもちナビなんて必要なしやし、搭載もせず。
19:00友人の母宅にお邪魔。友人というか知人というか、その本人より、母との方が仲良くなってるこれまた不思議。もちろん友人は同行せず、その母に会うのが目的。
母は、手作り水餃子を大量に用意して下さってて、rere、baco共々、腹パンパン。その母、自宅で料理教室をされてるようで、水餃子もちょっとヒネってセロリ入り。美味しかった。
なんかターシャ好きのようで、庭もかなりの作り込み。でもイヤらしくなくセンスよく。木のように成長したローズマリーは圧巻。それを切ったものをトイレの水栓に置かれてたのが印象的で、早速真似してみようと思ったら、rereもbacoも同じこと思ってたみたい。
翌朝、しっかり朝食頂いて、車で30分ほど西へ。奈良県にあるギャラリーへ。『夢雲』やったかな。ムーン・・・そこさえツッコまなければ、いい感じ。築300年の古民家を改装して、バリの布の展示。壁の抜き具合とか、それによってあらぬところに窓とか、テラスがあったりとか、土間に石を埋め込んでるのとか、上級。偉そうやけど。でもこういう場合、とんでもない事故として目撃してしまう場合も少なくないやん?予算が少ないからとかは言い訳、お金をかけてたとしても事故は事故。
その、上級と事故の間に境界線はあるのか?それは個人によって違うのか、厳然とあるのか。きっと個人によって違う、けど、厳然とかどうかはわからんけど、あるとも思う。明確に定義がないだけで、やっぱ個人を越えたところにあると思う。境界線=バランス点。どこをバランスとみるのも自由意志に委ねられるけど、プラスマイナスは必ずゼロになる。ゼロがゼロでない場合、事故になるんじゃないのか?と思ってる。
あきる野から来たと言えば、『真木テキスタイルスタジオ』の話題になるのやけど、ここも例外ではなく、もちろんご存知。そういう繋がり、世界はあるね。
名張市内に戻って、中華でランチ。茄子の甘酢ソースが美味しくて。片栗の衣で揚げてあって、そんなん初めて。今まで素揚げしか食べたことなかったから。
そこから、一路南東、伊勢へ。
来た道じゃない道で、通ったことのない道を通りたいと思って、国道368号を南下。これが大誤算。国道の概念って・・・。一車線で対向車来たら立ち往生。山道くねくね、渓流、廃墟。ガラガラの道の駅。トイレ休憩したら、ドッグランオープンと貼り紙。いらんくないかぁ?
まぁでも全ての道はどこかに通じてるはずなので、と若干焦りつつも走ってると、伊勢道のインターへ到着。高速走ること10分。伊勢神宮外宮へ。その後、志摩観光ホテル。黒鮑のステーキが食べたかったのです。伊勢海老も。アルザスのリースリングとブルゴーニュのモンラッシェ。美味しかったー。散財。夜中まで話し込んでたら、bacoにうるさいと言われ、撃沈。
28日、朝食後、伊雑宮。なんとなくあの辺じゃない?と見たあたりに、こんもりと森。絶対あれと向かったら、やっぱりそう。樹齢何年か知らないけど、見事な木がいっぱい。たった80年生きるかどうかでヒィヒィ言うてるのに、そんな長い時間、じっとし続けるってどんな感じなんやろ。そんなん耐えれない。そもそも時間の感覚が違ってて、こっちの1年が1時間くらいなんかもしれんけど。この木を切るのは簡単やけど、育てるには、何代にも渡らないと無理。合理化、短縮、できることばかりではない。
途中、伊勢うどんなるものを食べて、大阪へ。道頓堀『今井』でうどん。baco、初大阪。なんか不思議と連発してたけど、なにが不思議なのかさっぱりわからず。大阪って好きやけどな。
その後、実家へ。新築新居。謎だらけ。トイレに入れば、勝手に開く便座。必要?蓋しか開けへんねん。便座はそのまま。小便できひんねんな。結局便座開くボタン押さないとダメ。こんな機能、いる?どこまでいくのかね?最終的には排便をしない人間の開発?
美意識ってなんやろう?と思う。
翌日、墓掃除して、法事、墓参り、昼食、御詠歌なるものあげて、終了。御詠歌。うちの実家あたりでは四十九日の間とか盆とかに集まっては唱えるもの。関西では一般的かと思ってたけど、大阪の友人は知らないと言ってたので、どの辺でどうなのかわからんけど、そういうもんもあるみたい。宗派問わず。
夕方、尼崎の友人宅へ。鯛をもらったから、と鯛飯を作ってくれた。スモークソルトとか、山椒とうがらしとか、いろんな調味料を教えてもらい、ウキウキ。ちなみに山椒とうがらしとは、柚子胡椒の柚子が山椒に代わったものと思ってもらえればいいと思う。メチャ辛いけど、素麺なんかに合わせたら最高。
夜、情熱大陸で絢香。売上枚数と音楽性の良し悪しは、必ずしも一致しない、けど、やっぱ売上は気になると言ってて、賢い子やなーと思ったのです。当たり前のこと?
翌日、明石の生徒さんと靭公園のカンテでランチ。なんかお説教モード。なんでやろ?社会性を持つってどういうことなんやろ?誰をも不快にさせないように生きるということと、誰かを心地よくさせながら生きるということは同じではないと思う。
午後、あきる野へ。途中、養老で降りて、天命反転地やっけ?みたいなんに寄りたかったけど、間に合わず。またの機会に。
22:00、帰宅。右脇腹が痛い。運転し過ぎ。ストレッチして曝睡。

日本って本当に山とそこにある木々が豊かやなーと改めて思ったのです。この国土の8割9割は山なんちゃうかな。にもかかわらず、8割9割の人が、1割2割の都市部や街に密集してるんじゃないのかな。そのバランスがおかしいことに今の世の中のおかしさの秘密がある気がする。
人間には創れないもの。
勝手に生え、勝手に成長してるから、タダやと思うし、だから価値がないように思うのかもしれんけど、結果、絶滅種も生まれる。そうなると取り返しがつかない。なにかが絶滅したところでなんら影響がないような気がするけど、それはあるのかもしれない。
ゴキブリやネズミやカラスが喜んで住み、蝶々や蜻蛉や蛍が姿を見せなくなった場所が、人間にとって住みやすいところなのかどうか、疑問。
都会の雨は汚い場合が多いけど、田舎の雨は美しかったりします。感情的に雨は鬱陶しいけど、感覚的には、風情を感じてたい。
その心の余裕を失ってる原因はなにか。
完璧な人間になる必要も、自分は劣っていて駄目な人間だと思う必要も、どこにもない。
人がどう思うのか、より、自分が今なにを感じているのか、に耳を傾けるべきやと思うのです。そこに正解なんてない。

そんな徒然西の旅でした。