大人っぽさ
- DATE : 2008.04.09
- Cat : chezの独り言
今日はbaco撮影のお手伝い。盛りつけの手直しと、器合わせ。
人間と、犬猫と、兎鳥と、なご飯。
犬猫用に気合い入れ過ぎて、普段からこんななんですかーと言われてしどろもどろ。ええ、chez家ではそうでございます。絶対嘘やけど。
ポップやゴージャスも嫌いではないけど、好きにしろと言われれば、静かーな、寂しーい感じになってしまう。暗いというか。
その具合を、大人っぽいと評されて、ちょっと照れる。ま、夏過ぎたら35歳やからねー。充分大人っちゃ大人。
でも大人って年重ねたからなれるものでもないとも思う。
大人ってなんやろね。
大人と書いて、オトナと読み、タイジンとも読む。
オトナって曖昧やけど、タイジンはなんかわからんでもない。大きい人。もちろん身体の大小の問題ではない。チンコのデカさの問題でもないのは言うまでもない。
昔、親父に、器の大きい人になれと言われてた。器って?またわからん。
あの人、オーラがある、そういう、目に見えないけど、威厳や、ある種の威圧や、存在感があるって思える人って確かにいる。そういうことが言いたかったのだと思う。でもそれをどうやれば手に入れれるのか、どうすればそうなれるのか、が問題。
結局、自分が大きくならないと駄目ってことは、ある年齢過ぎれば身体的な成長が止まる以上、精神的に成長させるしかないってことなんやろな。やってみたいと思うけど、できないかも、っていうなにかを、やってみるしかないってことやと思う。できることは、既に過去。
無責任に聞こえるかもしれないけど、スタイリングもコーディネイトもやったことなかった、けど、やりたかったから、今やってる。そのプレッシャーを感じてたんやろうけど、5年前に書いた文章を今読んで恥ずかしいと思うように、もちろん当時はイケてると思って書いてたわけやけど、きっと今やってることも何年かしたら、まだまだやったなって思う時がくるやろうと思う。でもそれを失敗とは呼ばない。
初めから上手くできるなんて稀なこと。
自分が自分を超えてこそ、大きくなれる。その態度を持つ人を大人と呼ぶのかもしれません。でもそれは子供の持つ純粋さも同時に抱えてるってことでもあると思うのです。
やりたいけど、出来ない理由を考えて、前に進めないことを幼いというのかもしれないですよね。
親父の遺言、まだ生きてるけど、を胸に、もっと大きくなってやろうと思うのです。