At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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汚れた心

寝しなにダラダラと読んでる本にオモロい下りが出てきたので紹介。
ちなみにタイトルは『人生は美しく清らかに 潔癖VS清浄』A・スマナサーラ

1,心が汚れているのに、自覚がない人
2,心は汚れているが、それをありのままに自覚している人
3,心は汚れていないが、自分の心が汚れていないという自覚がない人
4,心は汚れていないし、自分の心が汚れていない自覚もある人
この4種類の中で、優れているのは自覚がある2人、2と4の人。自覚のない2人、1と3は卑しいのです。と。
心が汚れていないことが優れているのではなく、汚れてようが汚れてなかろうが、その自覚がある方が優れてるって、これ、ちょっと認識違いしてませんでした?
でもちょっと考えれば、汚れてなくても自覚がなければ、この欲まみれの世の中生きてると、すぐ汚れるもんね。汚れてると自覚があれば、きれいにしようとも思えるしね。

そうなると、なにをもって心の汚れを量るのかという問題が出てきます、ので以下。
1,自分を駄目にする仲間を好み、自分を指導してくれる相手を避ける
2,悪いことをすると刺激的でやめられない
3,人を騙して成功したり、バレないような嘘がつけた時、自分は賢いと思う
4,人のきれいな心、人情を表現した映画、小説などはつまらないと思う
5,皆の前に出ていないと落ち着かない、出しゃばり
6,人の欠点、失敗を聞くと楽しくなってしまう
7,人が褒められていたり、人が成功した話を聞くと落ち込む、あるいは腹が立ち、攻撃したくなる
8,優しい人は馬鹿だと思う
9,自分と似ていない人は変人だと思う
10,自分の意見を直されたり、批判されたりすると気分が悪くなる、あるいは、腹を立てたり、落ち込んだりする
11,隠し事が多い
12,利益がなければ動かない
13,人のことを信頼できない
14,飽きっぽい
15,難しいことに挑戦したり、自分を試すことが嫌い
16,みんながやってることを真似すれば安全だと考える
17,言われればやるが、言われたこと以外はなにもやらない
18,責任を持ちたくない
19,このチェック表の結果を人に見せて、褒めてもらおうとする

さていくつ当てはまりました?
数が多けりゃ多いほど、汚れみたいです。
こういうヤツって嫌~って思う前に、己はどうやねん?が大事ってことよね。汚れは駄目です、だからしないようにしましょうってのは道徳の授業でしょう。人の失敗談が大好きでオモロいと思うなら、しゃーない。自分はそんな汚れですって思って生きてりゃいいんちゃう?そう思ってしまう心を持ちつつ、そういうのはよくないですって言える方がよほど問題。
差別はいけません!って言うくせに、思いっきり差別してるオバハンとか多いやん?どんだけ自己認識甘いねん!みたいな。
かといって汚れが汚れのままでいたら、そのうち確実に行き詰まる。いずれ軌道修正させられる。ほぼ強制的に。それって最終的には大概病の形で訪れるみたいやけど。そうなる前に自分で修正した方が話は早いわな。
ワシ、飽きっぽいけど、そうも言うてられへんこと多いから、飽きてきた時にいかに踏ん張れるかが大事って気付くわけやし、隠し事してても疲れるだけやって気付くしね。
ま、金八好きやから、4はあり得ない。
2はやめれません。行き詰まるまで待ちます。
きっと1に当てはまらない人が、うちの教室に来てくれてはるんちゃうやろか。言いにくいことをよくもまぁヌケヌケと、いや、ズケズケと言いますからね、ワシ。

ちなみに補足。
2,強引に誘われて、仕方なくやってしまっても、やはり嫌だ、気が進まないという人は一応セーフです。
4,例えば、いろいろと苦労している難民の人を助けてあげる映画とか、献身的に人の面倒を見てあげる小説を読むと、眠ってしまう。一方で、性的、暴力的な映画を見たり、小説を読むと、とても感動する。とにかく、人を殺して殺して殺しまくる映画が大好きというのは、やはり心が汚れています。(これ、仏教の坊さんの書く例え?殺しまくるって。オモロい。)
5,逆にとにかく絶対に目立たないように隠れてしまう人もまた、心が汚れています。
19,人の評価によって動く人間だということです。

19,はちょっと笑った。
最近、ブログのヒット数が上がってて、きれいごと書こうとしてしまう自分の汚れた心をズバっと両断された気分。
今後も隠し事はしません。