At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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考え事

どうにも高田純次のことが頭から離れない・・・。
結構衝撃的な発言の連発やったから。
インタビューの中で、
「高田純次は家庭的な男か?」
という問いに、
「青山のディスコでナンパした女の子が、娘と同級生だったんだけど、これって家庭的なのかな?」
次いで、
「家庭的ってなんだろ?家庭的の反対って、なんですか?」
っていうシーン。
その後、家庭的の反対ってなんなんだろう?ってすんごい考えてみたけど、全然わからんくって、友人知人にメール。
「家庭的の反対ってなに?」

で、出ました。
家庭的の反意語は、反家庭的である、との結論。
一番多かった解答は、外交的、社交的。
うちのオカンの回答も社交的。
でもうちのオヤジは、家庭的であるかないか、が問題で、家庭的の反意語はないと思う、との回答。
それって、正しいやん?
その時、みうらじゅんの言葉を思い出した。
「1の反対は0ではなく、-1です」
続いて、
「『ある』の反対は『ない』ではなく、『反ある』です」
あーそっかって感じじゃない?
「ある」と「ない」の関係は90度でしかない。
「ある」と「反ある」は180度。
メリットとデメリットが等しいのと同じ。

家庭的って、辛い、熱いと同じで、人によって捉え方が違う。
ちなみに、ワシの家庭的の反意語は、異端的。
その他少数意見として、孤独感、独断的、破壊的、とか。
ある人が、外交的って思った人は、家庭的って、内に籠るってイメージなのかもね、って言ってて、ということは、ワシは、家庭に、一般大衆的な、生活臭のする、生活感がある、下世話な感じ、決して好きではない、オシャレな感じがしない、そんなイメージを持ってたんやって思ったんよねー。
それがイヤだからか、生活感のない生活をしたいと思ってる、と思ってるなーと。
自分が家庭に抱いてるイメージの逆の家庭を自分がしている、ということ。
じゃあ、自分の生活に、もっと生活臭があることを許してもいいのかなって思ったんよね。
で、親の生活における価値観を、認めてあげないとダメやなーって思った。
彼らのしてきた経験や苦労を、もっと理解をしてあげたいなーって。
あげたいなーって傲慢かな。してあげないとなーって、でも、してあげないとって思うのは、なんか強制的な感じがするやん?
自分自身が理解をしたいという気持ち。
美しいものを戦争によって奪われて、好きなものもお腹いっぱい食べれず、着るものもロクでもなく、お金を稼ぐしか、することがなかった、のかもしれない。
だから老後の楽しみ方がわからない。
どうやってお金を使えばいいのかわからない。お金を使うことが罪やと思ってる、そんな人が多い気がする。
多分、美しいものを持つと、奪われてしまったという思い、その辛さをもう味わいたくないからじゃないかなと思うねん。そんなことないんやけどね。結果そうでしかなかっただけで。

先行きに対する不安なんて持ったらダメ。
今したいことを今するしかない。
今すぐ形にならなくても、今具体的にどうしたいのかを思い描くことは可能。
今やる、と決めることも可能。
いずれ、なんて存在しない。
いずれ、が訪れた時もきっと、更にいずれを求めるだけの話。
いずれと思ってるけど、結局それって自分の中でプライオリティの下位に追いやっただけなんよね。

快楽を求めるから、不快を感じざるを得ない。
不快を感じるからこそ、快楽を味わえるわけで。
「ある」の反対は「ない」ではなく、「反ある」。

そんなこと思いつつ、髪切りに吉祥寺へ。
その後、また友人宅で高田純次鑑賞会。
みんなでスゲースゲーの連呼。
アホなんやろなー、ワシら。