At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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便利過ぎるという不便

昨日、建築家の方が、修正図面を持って来られました。親父らの終の棲家は平屋の数奇屋風。
こだわりはない、そんなんわからん、と言いつつも、ここはこうのがええんちゃう?とこだわりを見せる親父。どないやねん。

その後、建築家の方が、ちょっと見て欲しいものがある、と外断熱に床暖房、オール電化で、ある意味バリアフリーなサンプルを見せてもらいに。
すごいね、最近。
トイレの扉を開けたら、トイレの蓋が開き、ルーバーになった電動シャッターは、時間と共に動くことで、防犯しながら、光と風を採り入れる。インターホンの隣には、オール電化のモニターみたいなんと、床暖房の、お風呂の、エアコンの、シャッターの、操作パネルが並ぶ。建築家の方ですら、操作間違えて、開くはずのシャッターではなく、天窓が開いたりしてた。
ま、慣れたら快適この上ナシ、なんかな。
親父ら、テレビ見たいのに、風呂沸かしたり、窓の開け閉めしてしまったりしてそう・・・。ボケてないのに、ボケボケ。ま、これならホンマの意味でボケなくていいのかもねって思ったけど、逆にストレスでそこに向かって急加速!ってこともあるかもね。あははー。って笑うとこちゃうな。

親父らの世代って、幼少時、お風呂薪で沸かしてたり、川で洗濯な時代も経験してる、実質それをやってたのはオバアなわけやけど、その後、三種の神器で、ITで。生活が一変したんやろなー。その都度きっと時代に合わせてやってきて、合わせれないならリストラされて。
時代が便利になるにつれ、不便さを感じる世代もいるんやろなーと思います。

かといって便利になることが悪いなんて全然思わない。というか、手抜きしたい時、手抜きしたい場面で、十分その恩恵は受けてる。
でも素敵なものも好きなんよねー。
素敵なもの。きっとそれは、人が面倒臭いと思うことをできた人だけが創れるものなんちゃうかなと思うんです。でも、一切手抜きをしないことが完璧だと言いたいわけでもないんです。それは単に潔癖なだけで。
ある場面で、ある部分に対しては、手抜きをしない、便利さの反対の面倒くさいことをしないと成り立たないことがある、そう思うんです。

手間隙掛けたから素敵なものができる、とは思ってない。でも素敵なものは、往々にして手間隙掛かってる。
高いから素敵なわけではなく、でも素敵なものは高いものが多いというのと同じ。
面倒臭いからと手を抜く場面や、安いからという理由だけでそれを買う、そういう場面があってもいいと思う。でもそれは、手を抜かない場面や、そのもの自体を見た結果、値段が安くなくても手にしようという価値観を持っていて初めて成り立つとも思うのです。
いつも手を抜く、いつでも安いというだけの判断基準でいるってことは、自分よりもエゴやお金が大事だということなんちゃうかな。

じゃ、そのここだけは手を抜かない、そんな重要な場面の見極めはどうしたらいいのか。
それを知ってるのは自分しかいてないねんなー、これが。
その自分に向き合う行為がまた面倒臭い。
でもその不便なことをやった人だけが、ホントに素敵なものを手にできる、そう思うのです。