2日目
- DATE : 2007.11.24
- Cat : chezの独り言
また10:00からクラススタート。
やっぱり瞑想をするのです、朝から。瞑想って、オウムの一件とかで怪しいことの代名詞くらいな勢いやけど、気持ちいいもんです。いろんなものが見えるって人もいるけど、ワシにはなんも見えません。でもどのくらいの時間か、日によって違うので定かではないけど、しーん、としてきます。頭が止まる感じ。でも寝てない、ちゃんと起きてるのです。
忙しくて余裕がない人こそ、やってみたらいいんじゃないかなと思います。忙しいことと、時間に追われることは意味が違うと気付くんじゃないかなと思います。簡単なのは、A.スマナサーラ『現代人のための瞑想法』。このスマナサーラ氏、スリランカ人の仏教僧。この人と、養老孟司の対談、『希望のしくみ』もおすすめです。
さて今日の授業もオモロい話てんこ盛り。マザー・テレサの、「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」の引用。憎しみの反対は、好き、なのかな。気になるって意味では、好きも憎しみも同じなのかもしれない。手に入れたり、思い通りにしたいという執着、それが適わないと憎しみに変わる、そんな感じ?愛の反対が無関心であるなら、愛とは関心を持つこと、だとしたら、納得いきません?自分に関心を持つ。自分が今なにを食べたいのか、なにをしたいのか、なにがしたくないのか。どんな所に住んで、どんな暮らしがしたいのか。そのためにいくらお金が欲しいのか。お金持ちになりたいって人、多いけど、じゃ、どんだけ欲しいの?となると、答えに窮するってこと、よくありますよね。神様に、お金持ちにして下さいってお願いしても、いくら欲しいねん?って聞かれるのがオチ、でしょうしね。だからお願いしても聞き届けられないのかもしれません。いくら欲しいのかを明確にすれば、意外と叶うものだったりするんじゃないのかなって、最近思います。
また、自分に関心を持つことで、無意識であることを意識化することができるんですよね。呼吸は意識的に止めることもできるけど、基本的には無意識にしてるもんです。大体イライラしてる時って呼吸が浅くなるから、それに自分が気付いてあげれたら、深呼吸できますよね。そしたら少しは落ち着ける。なんでイライラしてるのか、そこで少し自分を観ることをしてみる。それが愛です、って言われると、なるほど!って思いません?
そんな授業。
だから、今日のお昼はなにが食べたいの?と自問自答しながらの午前中~。愛、愛。答えは、ふーみんで豚肉の梅干し煮!これがまた美味しい!
午後は、食べ過ぎた結果の睡魔との闘い。脇腹つねりながら、聞き逃すまいと頑張りました。無事終了。
夜は、パリに住んでる友人が一時帰国してるので、泊めてもらってる友人宅でお帰りパーティ。もちろん食事係。大画面から流れるドリカムのライブを見ながらの料理。どーだか。
頭使った日は、ビールがよく回る気がします。