At Sol, one part of the wall is painted in magenta.
This color, discovered by Goethe, is a combination of red and violet,
which respectively are the lowest and highest colors of the visible spectrum.
Red is most heavy with long wavelengths signifying Roughness.
Violet is light with short wavelengths signifying Delicateness.
Hence, in Japan, violet is commonly used to represent the highest rank.
The words, “reason is formed by the height of culture and the height of animality” represent this ideology;
when the extremities of the vulgar and the refined exist, instead of combining both and diving it in half,
it is the intuition of going both directions simultaneously.
This is what is referred to as the Middle Way in Buddhism, meaning when exact opposites exist,
one does not take what is in the center but encloses them both.
Sol’s aim to synthesize the man-made, contemporary and western, with the natural, antique and eastern,
alludes to the meaning of the color magenta, which signifies a mixture of opposite colors.
Thus, magenta is the symbol of the Middle Way.

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1の反対は?

数年前、友人から、「みうらじゅんさんが、『1の反対は0じゃなくて、-1』って言うてるんやけど、アンタ意味わかる?」と聞かれたことがある。
瞬時には、頭の中は、???状態、しばらく考えて、あ!そっか、となった。
面白かったので、その後、会う人会う人に、「1の反対ってなんやと思う?」と聞いてまわったところ、「-1」と答えた人は非常に少なくて、大多数は「0」と答えた。
余談ながら、他の少数意見として、「無限大」と「2」というものがあった。

「1」の反対を「0」と、問われるまで考えたこともなかったのに、なぜかそう思い込んでいた怖さ。
もし「1」の反対が「0」なら、真ん中は「0.5」になる。前提がズレてたんでは、世の中もズレて見えてたはずで。

きっと「0,1」の関係が、唯物的で、在るか無いかで、見えるものだけで、科学されたものだけで、の考えるという世界、
「1」の反対は「-1」が、マジョリティの答えなら、神秘とか精神とか心とか愛とか芸術とか宗教とか宇宙とかが、もっと受け入れられてるはずで、
「1」在るためには、「-1」見えない作用があり、感じるという世界、なんだと思う。
具体的にいえば、電気をつくる(1)には、石油やウランが減ってる(-1)という関係。気を遣う(1)、疲れる(-1)の関係。
みうらじゅんさんの言葉を借りれば、空車・空室・空き地はあるのかないのか、ということ。
色即是空の空。
無い(0)のではなくて、「1」在るために「-1」有る、ということ。

「0,1」の現実が、現在のマジョリティ、デジタルの世界。
「-1,1」のゲンジツは、アナログ。
人間は、存在がアナログなのに、意識に引っ張られてデジタルに生きようとする=バランスがおかしい=病気。「気」が病に罹ってるわけで。
「気」とは、観えず、非科学的だと思われてて、天気・元気・空気・気を遣う・気が重い・気持ちいい、等々、日々使ってるのに、あまり意識はしていないもの。もちろん-1。

今、生きにくい人が多いのは、世の中がデジタルだから。地デジなわけで。
「-1」を意識して、アナログに、考えることより、先ずは感じること。
そして、感じたことに対して、正・誤の判断は下さないこと。
判断は、社会性を保つ上で、必要とされるだけのことで、自身が感じたことに、不正解は存在しない。
感じたことを感じたままに生きることを、「在るがまま」と呼んでるんだと思う。

「-1」が無いと、「1」も無い=「0」。
在るために、観えていないだけで有るものを、認めることができないから、他者から認めてもらうことを、安心としたいんだと思う。

お釈迦様がお悟りになられた時に、「一切は無駄である」と言われたらしい。
感じたことを感じたまま=純粋・無垢・無作為=無駄がない=在る世界。

陶芸家・河井寛次郎さんの言葉。
「鳥が選んだ枝 枝が待っていた鳥」
「花を見ている 花も見ている」
禅語の「卒啄同時」に同じ。
ちなみに、金子みすゞさんの詩も、「1」と-「1」とが書かれている。

「1の反対は、0ではなくて、-1」。
「-1」というゲンジツ。